改元の日 世界は
暦時間軸に多様性
独自の紀元、文化背景
日本は今年5月1日、改元を迎える。では、この日を世界のさまざまな暦に置き換えてみたら、どうなるだろう。見えてきたのは、人々が生きる時間軸の多様性だ。
暦には大別して、地球が太陽を回る周期を基にした「太陽暦」、月の満ち欠けを基にした「太陰暦」、太陰暦を基に太陽の動きも参照し「うるう月」を入れる「太陰太陽暦」の3種頬がある。
日本で西暦と呼ばれるグレゴリオ暦は、キリスト生誕を紀元として世界中に普及した太陽暦だ。ローマ法王グレゴリオ13世が1582年、それまで一般的だったユリウス暦を修正・改定した。
ただ、これでユリウス暦が消滅したわけではない。ロシアなど東方正教会文化圏では今でも宗教行事をユリウス暦で行う。2019年の復活祭は、カトリックでは4月21日だが、正教会は4月28日。日本が改元に臨むころ、彼らは復活祭を祝っている。
太陰暦の代表は、イスラム暦だろう。預言者ムハンマドがメッカからメディナに移った年を紀元とし、ヒジュラ(聖遷)暦とも呼ばれる。1年が約354日なので、毎年太陽暦と11日ずつずれて暦が季節を反映しない。
今年5月1日は1440年8月25日。イスラム暦で9番目の月は「断食月」として知られる「ラマダン」だ。今年のラマダンは西暦で5月6日ごろ始まる予定。日本が新たな「元年」に入った直後、約16億人とされる世界のイスラム教徒は、最も宗教意識が高まるといわれる時期を迎える。
イスラム教徒が多数を占めながら独自の太陽暦も使うのがイランだ。春分の日を元日として1年が巡る。従って、イランの人々はイラン暦、西暦、イスラム暦の3種類を使い分けている。
やはり宗教由来の暦にユダヤ暦がある。旧約聖書の「創世記」冒頭にある「初めに、神は天地を創造された」時から始まる太陰太陽暦だ。今年は5779~80年に当たる。
現代中国では西暦のほか春節などで知られる農暦(旧暦)も使われる。1911年の辛亥革命後、翌12年を紀元とする中華民国暦が採用され、今も台湾で使われている。
北朝鮮は1997年から、故金日成(キムイルソン)主席の生誕年を元年とする主体年号を使い始めた。生誕年は1912年で、偶然だが台湾の年号と同じ。今年はともに108年だ。ついでに言えば、大正元年も1912年で、今年は大正108年となる。
日本は西暦と元号のほか、かつて皇紀という紀元も使っていた。記紀を基に神武天皇の即位を起点とした。似たような暦に朝鮮神話で最初の王檀君の即位を紀元とする韓国の檀紀がある。皇紀は明治初期から昭和の敗戦まで、檀紀は1948年の韓国独立から61年まで主に使われた。いずれもナショナリズムの高揚と関連する。日本の指導者たちは1940年・皇紀2600年を盛大に祝い・翌年太平洋戦争に突入・国を破局へ導いた。皇紀や檀紀は今も一部で使われている。
日本は1873年、文明開化の一環として中国の暦を起源とする旧暦(太陰太陽暦)を新暦(西暦)に切り替えた。背景には財政難の明治政府が、改暦で月数を調整し公務員の月給を節約する事情もあった。何とも便宜的だが、この改暦こそ「日本が中国文明の引力を離れ、欧米キリスト教文明に乗り換えた一大転換点だった」と国立民族学博物館の中牧弘允名誉教授は指摘する。
異文化共存の知恵を
国立民族学博物館名誉教授 中牧弘允氏
なかまき・ひろちか 1947年、長野県生まれ。東京大大学院修了。文学博士。専門は宗教人類学など。日本カレンダー暦文化振興協会理事長。大阪府の吹田市立博物館館長。
日本は現在、元号を使う世界で唯一の国だ。かつては違った。中国にも朝鮮半島にもベトナムにも元号はあった。
中国はもともと元号と干支(えと)を組み合わせた紀年法だった。天変地異を機に改元することも多かったが、明の時代からは皇帝の一世一元になった。元号が消滅したのは1911年の辛亥革命で中華民国が成立してからだ。
朝鮮は10年、日本への併合で独自の元号を失った。ベトナムもフランスの植民地支配下で元号は公式には使われなくなった。日本のかいらい国家、満州国にも独自の元号があったが、日本の敗戦で消滅した。
世界の暦を俯瞰(ふかん)したときに感じるのは、世界は何と文明的歴史的に複雑に構成されているかということだ。欧米の時間軸があり中華圏の時間軸がある。イスラム圏の時間軸も自己主張する。欧州も一様ではない。カトリックとプロテスタントで異なり、東方正教のように今もユリウス暦が生きている文化もある。
世界はさまざまな時間軸で構成されていることを理解するのが重要だ。統一する必要はない。文化の違いを意識し、共存する知恵が必要だと思う。改元は、この多様性に思いをはせる機会であってほしい。(談)
【静新平成31年1月1日(火)号】
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