2011年5月26日木曜日

妙蓮寺の大・下庫裏と玄関


 妙蓮寺の大・下庫裏と玄関
 有形文化財に追加指定 富士宮市

 富士宮市教委は24日、妙蓮寺(同市下条)の玄関と大庫裏、下庫裏を市の有形文化財に指定した。同寺の表門と客殿は既に指定を受けているため、追加指定になる。
 妙蓮寺は1324年に建立された日蓮宗寺院「富士五山」の一つ。19世紀前半の文化文政時代に建てられた表門と客殿は、地域に残る最大級の木造建築として1985年に指定された。
 新たな調査で表門や客殿より古い1780年に下庫裏が移築、1797年に大庫裏が建立されたことが分かり、大庫裏と客殿を結ぶ玄関とともに追加指定が決まった。
 同市内の指定文化財は国指定21件、県指定23件、市指定29件。旧芝川町指定の文化財20件は現在、市指定移行への調査を進めているという。
【静新平成23年5月26日(木)朝刊】

2011年5月17日火曜日

長塚古墳主要部を沼津市に寄付

 長塚古墳主要部を市に寄付
 所有する江藤家から目録
 市は十二日、長塚古墳墳丘部の土地受け渡し式を市長応接室で開き、東沢田にある同古墳の主要部分一、○一一平方㍍について所有者から寄付を受けた。
 寄付をしたのは、土地を共有してきた江藤昭二さん、江藤不二夫さん、植木あい子さん、江藤俊夫さん、宮本恭子さん、江藤俊久さん。いずれも江藤家の兄弟と、その相続者。式には、江藤家の遠縁に当たるJAなんすんの鈴木道也組合長らも出席した。
 昭二さんから目録を受け取った栗原裕康市長は「周辺は今や市街地。大変貴重な土地を寄付していただき、ありがとうございます」と感謝の言葉を述べた。
 昭二さんは「私達兄弟が元気なうちに方向付けできて良かった。これで安心した」と話した。式の後、昭和三十一年に発掘調査が行われた時の様子が江藤家側から説明され、調査団のために自宅を開放し、宿舎として提供した思い出などが語られた。
 また歴史のことが話題に上り、不二夫さんが江藤家初代の江藤丹後守のことや、名主として一揆を指導した先祖の話をすると、栗原市長も「我が家の初代は、旗本松平某の庶子だと伝わっています」と応じた。
 さらに俊夫さんが、祖父の林太郎氏が慶応義塾の第1回卒業生であることを話すと、慶応大卒の栗原市長は、天井を仰いで何か感じ入っている様子だった。
 長塚古墳は市内に三つある前方後円墳の一つで、出土品の特徴などから、六世紀前半の築造、被葬者は、古代スルガ国を支配した首長とみられている。
 古墳周辺の土地は今年度中にすべて市が取得する予定になっており、市は今後、再度の発掘調査を行った後、史跡公園として整備する方針。
(沼朝平成23年5月17日号)

2011年5月14日土曜日

県文化財「長塚古墳」(沼津)


 県文化財「長塚古墳」(沼津)
 来年度以降 市が調査、復元


 沼津市は12日、県文化財に指定されている前方後円墳「長塚古墳」(同市東沢田)の最も主要な墳丘部1千平方㍍を取得した。地権者から寄付を受けた。一目で前方後円墳と分かる形状の美しさから同古墳の見学者は多く、市教委は活用に本腰を入れるため、来年度以降に調査、復元に着手する。
 長塚古墳は愛鷹山麓と周辺を支配した首長を埋葬した6世紀の造営とみられ、墳丘部は54㍍あり、全長は70㍍を超えると推定される。1950年代には県東部の前方後円墳.の中で早期の段階で埴輪(はにわ)の列が出土したほか、祭祀(さいし)跡も確認された。
 99年に県文化財に指定された。形状が分かりやすいため児童や生徒の見学者も多く、地元から活用の要望を受け、市教委が土地取得を進めていた。今回最も重要な主要部が提供され、未買収の土地は外周部分の約200平方㍍となった。市は全域を市有地にした上で、98年以来の発掘調査を行って古墳の規模など全体像をつかみ、史跡の整備計画を立てる。
 市内には3カ所の前方後円墳があり、松長の神明塚古墳、西沢田の子ノ神古墳の他の二つも、長塚古墳の近くに集中している。
(静新平成23年5月13日朝刊)