2018年5月21日月曜日

昭和四年竣工の「行幸橋(みゆきばし)」探索 平成30年5月21日(月)


昭和五年六月一日~三日の昭和天皇沼津巡幸。
前年の四年九月に沼津御用邸への通りに「行幸橋(みゆきばし)」竣工。
昭和の貴重な現役橋を探索した。
平成30年5月21日(月)朝

2018年5月14日月曜日

昭和39年の聖火コース資料(沼津市)






オリンピック東京大会聖火リレー実施要項(抜粋)
 方針
.オリンピヅク東京大会開会弐の聖火合に点火される聖火は,オリシピック東京大会組織委員会(以下組織委員会という)が主催し,関係各国オリピック委員会および関係団体の協力を得てギリシャ国オリンピックから主競技場へ運ぶものとする。
2.アテネから那覇(沖縄)まで,および那覇から鴨池,宮崎,千歳空港までは,日本航空(DC―6B)および全日本空輸(機種未定)のチャーター機によって空輸する。空輸機が途中着陸訪問する国外都市はアテネを含めつぎの12都市とし,夫々の都市に各1泊する。予備日をとる都市には2泊することがあり,カルカッタには整備のため着陸し、1泊する。
(1)アテネ(ギリシャ)(2)イスタンブール(トルコ)(3)ベイルート(レバノン)(4)テヘラン(イラン) (5)ラホール(パキスタン)(6)ニューデリー(インド)(7)ラングーン(ビルマ)  (8)バンコック(タイ)(9)クアラルンプール(マレーシア)(10)マ三ラ(フイリッピン) (11)ホンコン(ホンコン〉 (12)台北(中華民国)
3走者による地上リレーと、それにともなって行われる式典等は国外にあっては、当該国オリンピック委員会,国内にあっては聖火リレー都道府県(沖縄を含む)実行委員会が組織委員会の計画した基準によって実施ずる。
4走者による地上リレーはオリンピックトーチより、航空機および船舶等による輸送は聖火灯により行なうものとする。
(参考)国内ゴース
沖縄に9月6日到着した聖火はは陸路リレーして9月9日早朝沖縄を発ち、鹿児島、宮崎、札幌に着陸点火し,各コーズとも910日に出発する。
南から3コースに分かれ、北からの聖火リレーは青森で2コースに分れ、第2、3コースは10月8日に第1、4コースは10月9日に都庁に到着する。
2コース
沖縄,鹿児島,宮崎、大分,愛媛,高知,徳島、香川,岡山,兵庫、大阪,和歌山,奈良,京都,滋賀、三重,岐阜、愛知、静岡、神奈川、東京

2国内聖火リレー実施基準(抜粋)
1.空輸
空輸機は196496日沖縄那覇市に到着し、島内リレーを終えて99日早朝沖縄を出発して,同日鴨池,営崎,千歳空港に夫々着陸点火する。
2コース日程
国内聖火リレーのコースおよび日程は別紙のとおりとする。ただし,沖縄島内のリレーは2日間を要して島内を1周する。
3リレーの方法
(イ)リレー隊は1区間正走者1,副走者2,随走者20名以内とする。
(ロ)リレー隊員は16才~20才の日本人とする。随走者には中学生を加えることができる。
(ハ)1区間の距離は1㎞~2㎞とする。
(ニ)リレー隊員はアマチュアーであり充分リレーに耐え得る体力を有する者とする。
(ホ)リレー隊の服装は白色ランニングシャツ(女子は半袖シャヅ)白パンツ,白運動靴とし,胸に所定のマークを着ける。
(ヘ)リレー隊の速度は毎時12㎞を標準とする。
(ト)昼夜兼行の方法はとらないものとする。
(チ)聖火は原則として受渡し地点で次走者のトーチに点火する。
()リレ一終了後宿泊地における聖火台または聖火灯に移すものとする。
4式典
式典は次の場合に行なう。
(イ)空輸機が空港に到着しリレーが開始されなとき。
(ロ)聖火が宿泊地に到着したとき。
(ハ)聖火が宿泊地を出発するとき。
(ニ)聖火が県境に到着したとき。
(ホ)空輸機が次の都市に向け出発するとき。
5。実施細目
(1)式典
(イ)空港到着空港出発(省略)
(ロ)宿泊地
a各都道府県所在地での式典(到着、出発)は当該実行委員会が計画し組織委員会の同意を得て、当該実行委員会、組織委員会派遣員および関係者の立合いで行なう。
b各都道府県庁所在地以外の宿泊地の式典も上記に準ずる。
上記宿泊地の式典に際し、競技会、エキジビジン等を計画に入れても厳粛なものとする。この式典に際し・聖火台に点火した場合は,聖火が当地を出発するとき,その火を消す。
(ハ)県境
当該実行委員会代表者、組織委員会派遣員および関係者の立合いで簡単に行う。
a組織委員会代表者挨拶
b両県実行委員会代表者挨拶
c正走者より次の県の実行委員会代表者のトーチに点火する。
d実行委員会代表者は正走者に手渡し出発する。

国内聖火リレーコース
2コース :沖縄、鹿児島、宮崎、大分、愛媛、高知、徳島、香川、岡山、兵庫、大坂、和歌山、奈良、京都、滋賀、三重、岐阜、愛知、静岡、神奈川、東京


6オリンピック東京大会国内聖火リレー
静岡県リレー隊編成概要
1リレーコース 距離 185.1Km 区間距離 114区間
2区間割当方針
(1)通過市町村(25)は原剣として2区間とし,人口10万以上の都市(宿泊地を含む)1区間増とした。
(2)通過市町村以外のリレー区間割当ては,申し込みにより単独もしくは,2町村以上で1隊を編成した。
(3)学校関係については、特殊学校、通信教育、高等学校関係とし、高等学校のリレ一隊編成は、昭和37年度、38年度に国体,インターハイで活躍した学校を選出した。

(4)団体については,ズポーツ少年団、青年学級および勤労青少年団体を対象とした。種目別競技団体は東,,西の3区闇(県境,県庁入り)とし種目別毎に参加人員を選出するようにした。

8オリンピック東京大会国内聖火リレー
静岡県リレーコース
地区責任者・中継所主任・指導者一覧
地区責任者' 東部(85区~第II4)石川武 沼津市大岡北小林
     
受渡順序96 13.14受渡時刻 受渡地点沼津加工紙正門前 次の地点までの距離1.3  隊編成市町村(団体)松崎町・賀茂村・西伊豆 中継所主任 勾坂明正 リレー隊指導者山本邦夫
受渡順序97 13.21受渡時刻 受渡地点静岡スバル沼津営業所前 次の地点までの距離1.3隊編成市町村(団体)南伊豆町・下田町 中継所主任 清水進一郎 リレー隊指導者鈴木一男
受渡順序98 13.28受渡時刻 受渡地点沼津商業高校正門前 次の地点までの距離1.6  隊編成市町村(団体)沼津市 中継所主任  池上守 リレー隊指導者池上守
受渡順序99 1337分受渡時刻 受渡地点平町バス停 次の地点までの距離1.1Km  隊編成市町村(団体)沼津市 中継所主任 福田 馨 リレー隊指導者 福田 馨
受渡順序100 13.43受渡時刻 受渡地点東京麻糸紡績沼津工場 次の地点までの距離1.2  隊編成市町村(団体)沼津市 中継所主任 白石 暁 リレー隊指導者 白石 暁
受渡順序1001 13.49受渡時刻 受渡地点黄瀬川橋東詰 次の地点までの距離1.2  隊編成市町村(団体)清水市 中継所主任 伊藤和俊 リレー隊指導者 阿早田 茂

91 池谷和之・(東京電気)   鈴木俊治(東京電気)西島一郎(東洋醸造) 佐藤義夫(東京電気)菊池敏秋(東京電気)鈴木宏昌(東京電気)高梨清一(東京電気)菊池正治(東京電気)菅沼政博(東京電気)堀江実(東京電気)武田勝(東京電気)西島拓身(東洋醸造)古屋晶三(東洋醸造)加藤誠(東洋醸造)山口清次(東洋醸造)天野義徳(東洋醸造)吉村成夫(東洋醸造)確井光之(東京電気)芹沢真人(東静電気)山中英一(韮山高校)渡辺隆徳(修善寺工高)根木谷信一(沼津市高)石井修(韮山高校)




沼商前にて聖火ランナー引き継ぎ
91区の根木谷信一伴走者の委嘱状


98 大島正義(沼津市役所)  堀江進(自営) 鈴木雅樹(不二石油) 中島忠男(土佐谷鉄工) 鈴木弘延(沼津駅)小野潔(信用保証協会)日吉国昭(富士製作所.)小松.繁夫(沼津電話局)石塚恵章(静岡相互銀行)大熊晃人(東洋パイルヒユーム管)深津正'興(自営)佐藤晃(沼津商高)川口豊彦(沼津商高)小川清吏(沼津商高)高橋照夫(沼津商高)小早川良夫(沼津商高)塩崎光男(沼津商高)松.井しづ子(沼津商高)田中芳子(沼津商高)武田博知(沼津第二中)川島健三(沼津第二中)佐藤光司(沼津第一中)古地利知(沼津第一中)
大手町交差点を走る聖火ランナー(大島氏)


105 室伏重信(日大三島高)  飛奈光宏(富士高) 萩原'英子(富士見高) 富田正彦(日大三島高)菅沼正俊(日大三島高)浅野見性子(日大三島高)垣野順'子(日大三島高)鈴木千鶴子(日大三島高)富士見高(日大三島高)城所暫夫(沼津東高)石井政樹(三島南高)大村謙次(吉原市商高)土屋溶子(吉原市商高)阪喜一郎(沼津商高)鈴木麗子(沼津西高)泉静子(三島北高)川口新吾(田方農高)鈴木皓彦(沼津市高)柴山鈴子(沼津女子商高)若月昭子(富士宮東高)井端宣彦(伊東高)露木康雄(沼津工高)志太満須美(熱海高)田村彪(富士高)

114 金子良信(国産電機)   渡辺彰(沼津商高) 佐藤三千雄(沼津商高)  弁森峯夫(国鉄沼津駅)市川亮(東洋レーヨン)鈴木幸二(特種製紙)勝亦康哉(沼津東高)木村聡(熱海高)白岩博明(沼津工高)溝口住夫(沼津東高)青木幹隆(熱海高)藤ケ谷佳彦(沼津東高)山田昌弘(沼津東高)増山隆夫(沼津工高)渡辺春男(田方農高)斉藤重武(沼.津市高)鈴木庄治(沼.津市高)望月光治(国鉄沼津)小林章三(大東紡)山本喜一郎(沼津商高)栗田長和(三島南高)大庭彬生(沼津工高)長谷川忠義(三共KK





ぬまづ近代史点描80
一九六四東京オリンピック 沼津史の聖火リレー
二〇二〇東京オリンピックの開催が二年後に迫ってきた。聖火リレーについても、種火を東日本大震災の被災三県(岩手・宮城・福島)に運んでイベントを行った後、沖縄県からリレーをスタートする方針が決まり、また都道府県別の日数が確定し、静岡県には三日間が配分されたなどの報道が出ている。さて、最近、昭和三九年東京オリンピックの開会式の時の静岡県内の聖火リレーに関する資料が見つかったので、この資料から五四年前の聖火リレーについて紹介したい。
 昭和三九年(一九六四)八月二一日、聖火はアテネを出発し、途中イスタンブール、ベイルート、ダマスカス、テヘラン、ラホール、ニューデリー、カルカヅタ、ラングーン、バンコク、クアラルンプール、マニラ、ホンコン、タイペイの十三都市を経て、それぞれ一泊しながら全日空のチャーター機で空輸され、九月六日、那覇(沖縄)に到着した。当時の沖縄はアメリカの占領統治下で、本上復帰運動が盛んだった。沖縄に到着した聖火は島内をリレーした後、九日早朝に沖縄を発ち、鹿児島・宮崎・札幌に到着・点火した。南からは鹿児島を出発して九州の西側から本州の日本海側を通るーコースと宮崎を出発して九州東側から四国、本州の太平洋側を通る2コース、北からは札幌から青森で分かれ日本海側を通る3コース、太平洋側を通る4コースという4つのコースで(1参照)、各コースとも一○日に出発した。静岡県は2コースに含まれていた。ちなみにリレー参加者は計一〇万七百十三人であったという。
 静岡県のリレーコースは概ね当時の国道1号線を通るルートで、一八五・一㎞・百十四区間となっていた。コースが通過している二十五市町村は原則二区間、人口一〇万人以上の都市は一区間増、通過市町村以外は単独もしくは二町村以上で一隊を編成したほか、学校関係で特殊学校、通信教育、高等学校関係で隊を編成し、前年度、前々年度に国体、インターハイで活躍した学校を選出、団体でスポーッ少年団、青年学級、勤労青少年団体とし、種目別競技団体が東・中・西で三隊が編成された。リレー隊は、正走者一人、副走者二人、随走者二〇人以内、一六~二〇才の日本人(随走者は中学生可)で編成され、服装やアマチュアであること、毎時一二㎞を標準として走ることなどが定められていた。
 静岡県に聖火がリレーされたのは、一〇月三日の一五時五〇分、愛知・静岡県境でのことである。ここを一番目として92番目の中継地点「吉原・原町境」で、一〇月六日一二時三八分、現在の沼津市域に聖火がリレーされた。92から93「東海ガス充填所前」までの区間一・八㎞は土肥町・戸田村で編成された隊が走り、正・副走者、随走者とも二三名全員が松崎高校土肥分校の男子生徒で、第93中継所までを走った。
 93から95までの二区間は原町で編成した隊であった。93から94「原中学校正門前」まで一・五㎞の区間は旧浮島村で編成されたようで、正走者は山田政和(沼津商高)、副走者は堀内美秋(沼津商高)、殿岡豪(日大三島高)、随走者は浮島中学校の生徒二〇名であった。94から95「図書印刷正門前」までの一・八㎞は、正走者杉山学(沼津商高)、副走者赤池実雄(日大三島高)、深沢正和(日大三島高)、随走者は原中学校の生徒二十名であった。
 95から96「沼津加工紙正門前」まで一・八㎞の区間は、東伊豆町・河津町の隊が、96から97「静岡スバル沼津営業所前」までの区問一・二㎞は、松崎町・賀茂村・西伊豆町の隊が、97から98「沼津商業高校正門前」まで一・三㎞の区間は南伊豆町・下田町の隊がリレーした。
 98から101「黄瀬川橋東詰」までの三区間三・九㎞が沼津市の隊の担当であった。
 98から99「平町バス停」まで一・六㎞の区間は、正走者は大島正義(沼津市役所)、副走者は堀江進(自営)・鈴木雅樹(不二石油)、随走者は中島忠男(土佐谷鉄工)ら社会人八人、沼津商業高校の男女生徒八人、一中、二中の生徒四人であった。
 99から100「東京麻糸紡績沼津工場前」の一・一㎞の区間は、正走者は井上泰秀(県土木事務所)、副走者は早川昭男(国産電機)・加藤晴祥(神田製作所)、随走者は東芝沼津の社会人二人のほか中学校・高校の生徒一八人(沼津四高三人、沼津女商高五人、沼津市高二人、五中四人、金岡中四人)で、男女比が半々の隊であった。
 100から101「黄瀬川橋東詰」まで一・二㎞の区問は、正走者折戸慶四郎(あみや酒店)、副走者茂呂嘉幸(加藤車体)、初又信好(漁業)、随走者は海福潔(日産自動車)ら社会人五人、高校生一五人(沼津東高一人、沼津市高六人、沼工一人、沼津工業高専五人、沼津北部高二人)であった。「黄瀬川橋東詰」で聖火は清水町の隊にリレーされ、その後115中継所「静岡・神奈川県境」までリレーされた。ちなみに、静岡県内の最終正走者は、後にハンマー投げでオリンピヅクに三度出場した室伏重信(日大三島高)であった。
 一〇月九日、日本列島を四つのコースでリレーされてきた聖火は当時有楽町にあった東京都庁前に集まった。翌日の十月一〇口、一九歳の坂井義則(早稲田大学)が最終ランナーを務め、国立競技場の聖火台に聖火が灯されたのであった。
(本・文中敬称略。所属・町村名・場所等は当時)【沼津史明治史料館通信第133号 平成30425日発行】