2019年1月21日月曜日

沼津兵学校創立150周年記念新聞記事【平成31年1月21日(月)朝刊】





沼津兵学校150年祝う
 大政奉還後、静岡藩を治めた徳川家が設置した沼津兵学校がことし創立150周年を迎え、20日、記念式典と同校付属陸軍医局(静岡藩立沼津病院)の記念碑除幕式(いずれも実行委主催)が沼津市内で開かれた。先進的な教育制度を実践し、日本の近代化に貢献する人材を輩出した同校の功績を知ってもらおうと企画した。

徳川家縁故者ら式典 病院記念碑除幕も
 第18代徳川家当主徳川恒孝さんの長男家広さん(53)らを招き、病院跡地の市立第一小北側で沼津病院の記念碑除幕式を行った。病院の初代院長杉田玄端のひ孫鈴木富子さん(83)=東京都世田谷区=らも出席し、司会の合図で一斉に幕を引き下ろした。完成した碑を見た鈴木さんは「言葉にならないほどの感謝でいっぱい」と話した。
 除幕式に先立ち行った式典では、家広さんと国立歴史民俗博物館の樋口雄彦教授が記念講演した。家広さんは兵学校設置の経緯や教育内容などを説明した。樋口教授は自由貿易論を推進した田口卯吉や政界で活躍した元学生らを紹介した。反骨精神や外国語と異文化の学習など5点を挙げ、「兵学校からくみ取るべきものは無数にある」と強調した。(東部総局・中川琳)
【静新平成31121()朝刊】



<沼津病院>設立150年 跡地に記念碑建立 /静岡
毎日新聞201901210000

 1869(明治2)年に当時の徳川藩が設立した「沼津兵学校」付属医学所「沼津病院」跡地の沼津市西条町で20日、病院記念碑の除幕式が行われた。沼津病院は後身の駿東病院が1945年に空襲で焼け、市民にあまり知られていないため、設立150周年を機に、歴史を後世に伝えようと碑が建立された。

 碑は縦50センチ、横160センチの横長。徳川家の現当主、徳川恒孝さんによる「沼津病院駿東病院跡」の文字があり、左右に明治末期の病院の写真や沿革の説明文がある。

 式では沼津病院初代頭取(院長)杉田玄端(げんたん)のひ孫の鈴木富子さん(83)や徳川家次期当主の徳川家広さん、頼重秀一市長らが除幕した。また除幕式に先立ち、沼津兵学校創立150周年記念式典も沼津市民文化センターで行われた。

 玄端は杉田玄白のひ孫。副院長格の林洞海(どうかい)は順天堂大創設者の佐藤泰然の女婿。本人が医者と名乗れば誰でも医者になれた時代に、舶来の医療器具や医学書、薬品をそろえ、極めて水準の高い医療を施したという。廃藩後は私立や郡立の病院として変遷。廃院まで戦前の沼津の医療の中心だった。

 鈴木さんは「曽祖父を直接は知らないが、記念碑建立はうれしい限り。みなさんに感謝します」と話した。

 また実行委員会事務局長の匂坂(さぎさか)信吾・沼津郷土史研究談話会会長(71)は「今日は沼津兵学校の先生や生徒の子孫が74人も集まった。先祖の人生の原点の地を見に来たのだろう」と話した。【石川宏】



 沼津病院顕彰の記念碑除幕西条町の旧所在地跡に設置
 記念式典終了後、兵学校に併設された沼津病院を顕彰する記念碑=写真=の除幕式が、西条町の県道冨士清水線(旧国一通り)北側で行われた。
 沼津病院は、兵学校附属陸軍医局として設立され、沼津病院、駿東病院と名を変えて空襲で焼失する昭和二十年(一九四五)まで地域医療に貢献した。
 除幕式には、徳川家広氏や頼重秀一市長、沼津病院頭取を務めた杉田玄端(杉田玄臼の曾孫)の子孫などが参列し、紅白の幕を引いた。

【沼朝平成31122()号】


↓除幕式当日の動画



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