2020年5月27日水曜日

200522アーカイブス沼津技研パワーポイント資料動画





海軍技研址(ぎけんし)の碑 (下香貫木の宮)
海軍技術研究所とは、大正12年(1923)に東京に設立された海軍の兵器開発・研究機関です。
沼津に設置されたのは同研究所の中の音響研究部という部門で、昭和16年(1941)11月のことでした。
場所は下香貫で、現在の第三中学校とその周辺地域約82,000坪が敷地でした。
この中に研究所・工員宿舎・実験用水槽・作業場・倉庫などが配置されました。
これ以外に江浦・淡島・大瀬崎・長井崎・多比・下土狩などにも用地・設備を持っていました。また、実験用の船舶も10隻以上ありました。
この研究所では、空中・水中聴音機、潜水艦探知機などの開発が行われました。
海軍の武官・文官をはじめ、徴用工員・女子挺身隊を含め多い時で約2,000名の人員が働いていました。
昭和48年(1973)には三中前に「海軍技研址」という記念碑が建てられました。当時の遺構として、三中の北東の山の上に配水槽が残っています。
また近年までレンガ造りの倉庫が残っていましたが、老朽化し危険なため取り壊され、平成17年にはその部材を使用して三中の正門東側にモニュメントが作られました。
(平和を考える戦争史跡めぐり:明治史料館)






海軍技研址碑陰刻文
(上段)
太平洋戦争中海軍技術研究所音響研究部は本拠をこの下香貫に基地を江ノ浦淡島牛臥大瀬崎等に置く 国を愛する若人一千八百各持場に心血を注ぎ 純情の学究南波醇三身を挺して南海の戦場に殉じ 又十七才の
(下段)少女菊地ひで等七名空爆の犠牲となりてこの処に散華す 往時を偲び記念碑を地元の有志榊原平作氏の好意によりこの地に建つ
昭和四十八年 桜咲く頃 音響会
碧洞 佃定雄撰井書

(平和を考える戦争史跡めぐり:明治史料館)



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