2020年4月24日金曜日
杉原千畝・幸子夫妻資料
杉原千畝・幸子夫妻資料
今年は杉原千畝生誕120年・
「命のビザ」発行80年に当たります。
皆さん、千畝夫人や夫人の御両親が
沼津と深い関りのあることをご存じですか.
杉原千畝は、第二次世界大戦の最中、リトアニアの首都、カウナスの日本領事館の館長として赴任していた時、ナチスドイツの迫害でポーランドから逃げてきたみず知らずの難民たちを救うため、外務省の訓令に反しながらも、自らの外交官の職と自分や家族の命までも危険にさらして、昭和15年「命のビザ」と呼ばれる大量のビザを発行し、約6,000人の難民を救いました。
その後、抑留生活を経て、昭和22年帰国。しかし、帰国後まもなく外務省より呼びだされ辞表の提出を求められ、外務省官吏の職は解かれました。更に本人を含め家族は世間の誹謗中傷の嵐の中に晒されることになりました。
国外では、昭和44年(1969)イスラエル宗教大臣より勲章を受与されたり、昭和60年(1985)には、イスラエルの「諸国民の中の正義の人賞」、ヤド・バシェム賞を受賞するも、国内では、名誉が回復されず、千畝の名誉回復がなされたのは、帰国後44年経った平成3年(1991)の事でした。
このような千畝と苦楽を共にし、寄り添ったのが、母が町立沼津女子尋常高等小学校(現、沼津市立第二小学校)教師、父が現、県立沼津商業高等学校の教師であった御両親から生まれた幸子夫人でした。なお、夫人は現在の沼津市末広町(山神道)にて誕生しています。
今年「命のビザ」発行80年に当たり、ユダヤ人大虐殺の時代に自己犠牲のうえにたち、多くのユダヤ人を救い人道主義を貫いた、千畝と幸子ご夫妻の顕彰を、夫人の誕生地であるこの沼津で行い、この偉業を広く市民の皆さんにも知ってもらうと共に後世に伝えたいとの動きが今、始まっています。
大庭つる
母・みよ(旧姓、大庭)と父・杉山進の間に、明治21年に生まれる。
2歳の時、母の義理の兄・大庭松五郎(1日姓・勝又)の養子となる。
町立沼津女子尋常小学校教員(現 沼津市立第二小)
菊池文雄
明治15年、岩手県遠野に生まれる。
沼津町立沼津商業学校教師(現、県立沼津商業高等学校)
明治43年7月20日、大庭つると結婚、この時期つると文雄が在籍した学校は共に、山神道(一小校地)にあった。
杉原幸子(旧姓、菊池)
大正2年12月23日、父・菊池文雄と母・つる(旧姓、大庭)の間に、駿東郡沼津町山神道71(現、沼津市末広町)で生まれる。
杉原千畝
明治33年、岐阜県武儀郡上有知町(現、美濃市)に生まれる。
昭和11年、菊池文雄(香川県志度商業高等学校校長)の長女・幸子と結婚
沼津尋常高等小学校と沼津商業学校の所在地を探る
1)杉原幸子(旧姓、菊池)の両親が結婚した時期と杉原幸子の誕生地について
●両親、菊池文雄と大庭つるが結婚した時期は、明治43年(1914)7月20日
●菊池幸丁が誕生した時期は、大正2年(1913)(沼津町山神道71に生まれる。)
●菊池幸子が、杉原千畝と結婚した時期はは、昭和11年(1936)である。
2)沼津女子尋常小学校と沼津町立商業学校の校舎の位置関係について
(学校変遷の歴史)
●明治元年附属小学校開校→→→明治19年尋常小学沼津費→→…・・→明治30年沼津尋常高等小学校(山神道)(男女別学)→昭和3年沼津第一尋常小学校→→沼津市立第一小学校(現在)
明治34年、沼津女子尋常高等小学校(山紳道)→昭和3年沼津第二尋常小学校(常盤町)→→・・沼津市立第二小学校(現在)
●明治32年4月沼津町立商業学校開校(蓮光寺) 明治33年11月、沼津町立商業学校移転(山紳道)→→大正10年6月県立商業学校移転(丸子町)→昭和42年県立沼津商業高等学校清水町移転(現在)
上記資料より、両親の結婚一菊池幸子の誕生(沼津町山神道71に生まれる。)に至るこの時期には、両親の勤務していた校舎は、共に山神道内にあった。
【杉原千畝】
明治から昭和にかけて活躍した日本の官僚、外交官。
第二次世界大戦の最中・リトアニアの首都、カウナスの日本領事館(館長)に赴任した際、ナチス・ドイツの迫害でポーランドから逃げてきた難民たちを救うため、外務省の訓令に反しながらも、自らの外交官の職と自分や家族の命までも危険にさらし、昭和15年(1940)7月9日~8月26日「命のビザ」と呼ばれる大量のビザを発行し、約6,000人の難民を救ったことで知られる。その避難民の多くは、ユダヤ系であった。早稲田大学高等師範部英語科中退
明治40年の地図に見る
現、市立第一小学校内
①沼津尋常高等小学校、沼津文庫
(明治30年建設)
②沼津女子尋常高等小学校、幼稚園
(明治34年建設)
幸子の母。大庭つる・教員として勤務
③沼津商業学校
(明治33年建設)
幸子の父・菊池文雄、教師として勤務
④菊池幸子(後に杉原千畝と結婚し、杉原幸子となる。)誕生地大正2年12月23日駿東郡沼津町本字山神道71に生まれる
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