2020年4月10日金曜日

国難と国勢 匂坂信吾




                    国難と国勢  匂坂信吾

本年四月七日、コロナウイルスの脅威に対する国の緊急事態宣言が発出されました。
昨今の国内各地における感染状況は人類史上まれに見る正に国難とも言うべきものであり、郷土沼津及び近隣地域も例外ではあり得ません。
 沼津郷土史研究談話会(略称・沼津史談会)は、昭和三十六年(一九六一)七月の創設以来、間もなく六十年を迎えます。その間、折々の機会に地震や水害、疫病や戦災などの歴史について会員有志が調査研究を行い、その結果を会誌『沼津史談』に掲載しており、市立図書館二階の郷土史コーナーに永年保存されています。
 本会では、来たる五月十六日に市立図書館視聴覚ホールにおいて定時総会と記念講演を開催する予定でしたが、この状況の中で開催できなくなり、残念ながら中止します。また「沼津ふるさと講座」は四月十八日に安全な方法で試みた後、六月以降、参加人数や方法を制限して実施します。沼津を代表する文化人・四方一先生による連続講座もあるため、地元の参加希望者は末尾の問合せ先まで、ご連絡ください。
 総会記念講演として予定したテーマは、沼津兵学校員外教授・杉亨二(すぎこうじ)に関するものでした。杉は沼津在任中の明治二年(一八六九)に「沼津政表(統計)・原政表」を作成しました。今回講師をお願いした著名な翻訳家・松宮克昌氏は、杉の長女で元沼津藩士・手島精一(東京工大創始者)の妻・春子(はる)の曾孫に当たる伊佐子さんの夫です。松宮夫妻は東京在住であり、沼津に来ることを楽しみにされていましたが、この事態により今回は参加が叶わなくなりました。
 杉亨二は明治維新で德川家と共に駿河に移り、フランス語などを教えつつ「駿河國人別調」を試み、沼津で我が国最初の人口統計をまとめたことが評価されて新政府に招かれ、初の統計局長に就任しました。その後も終生、国勢調査等の調査研究に努めましたが、第一回国勢調査が実現したのは、杉の没後三年目の大正九年(一九二〇)十月でした。今年はそれから百年目、第二十一回国勢調査の年に当たります。
 杉は長崎出身で没後五十周年を期して昭和四十二年、長崎大学学長を代表とする地元関係者が長崎公園内に立派な胸像を設置して現在でも毎年、杉の命日である十二月四日には市や県の統計課が献花式を行っています。田上(たうえ)富久長崎市長は、前市長が右翼関係者により射殺されたことから、平成十九年四月に行われた市長選挙で当選するまでは、市統計課長の職にありました。同二十九年の杉亨二没後百周年記念献花式には、松宮夫妻や杉家子孫と共に田上市長が参列しました。
 今回、松宮氏が準備された講演要旨及び資料は、来年春に発行予定の会誌『沼津史談』第七十二号に掲載します。なお会誌は、マルサン書店仲見世店一階では毎年税込み一千円で頒布しており、第七十号を兼ねた『沼津兵学校記念誌』は同店のほか、長泉町の静岡がんセンター一階の売店「風のマーケット」でも好評取扱中です。
 ◆お問合せ先=090-7686-8612(さぎさか)   (沼津史談会会長、小諏訪)

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