2020年4月21日火曜日

明治二十八年沼津町小字


明治二十八年沼津町小字
 幅員 東西十九町五十二間 南北 十九町廿間
 戸口 戸數二千十 入口 一万千四百九十九人
 町の小字
○上本(かみほん)○下本(しもほん)○鵰町(くまたかちょう)○魚町(うおちょう)○仲町(なかちょう)○新町(しんちょう)○宮町(みやちょう)○下河原(しもがわら)○下小路(したこうち)○出口(菖称上琵琶首村)(でぐち)○浅間(菖称下琵琶首村)(せんげん)○榮(さかえ)町○市道(いちみち)○西宮後(にしみやのうしろ)○東宮後(ひがしみやのうしろ)○大門(だいもん)○通横(とおりよこ)○沼津新田(ぬまづしんでん)○上土(あげつち)○川廓(三枚橋城ノ外廓也)(かわぐるわ)○志多町(したまち)○八幡(はちまん)○新裏(しんうら)○条内(でうない)○片端(かたは)○添地(そえち)○西条(さいでう)○町方(まちかた)〇三枚橋(さんまいばし)○平町(ひら)○新田(しんでん)
東淺間町より浪人橋に至るを大岡庄とし西出口町より市道に至るを金持庄とす今淺間社の西千本観音への道を熊の堂まで通じて庄境なり
(明治二十八年十一月刊行「沼津案内」)

 大正2年沼津町誌 町名・河川名
 宿内町々の小地名左の如し。
 五反田(宿より放れて西の方なり) 出口(宿の西の出口なり、故に出口といふ。昔は上びはくび村といふ。) 浅間町(昔は下びはくび村といふなり。) 本町(上下二町駅舎あり。) 横町 上土 川車輪(三枚橋城の外車輪なりしとす。今石垣残る。) 下町(今は志多町と書す。) 三枚橋(昔三枚橋城ありし頃も此町ありしと見ゆ。今の川廓上土等の町は城内にて今宿の後の方、車返の往来に通行せしなり。間門訪諏等の村の後の方に古道の跡あり。これ右の往還ならん。) 平 山王前(山王宮の社前なる故に名とす。)
以上官道に属す町並なり。
 新町 中町 魚町(豆州より積送る魚類を此町にて売買するなり。) 宮町(古浅間社あり。今浅間町に鎮座する社なり。) 鵰町 立町 宮ノ後 大門 裏宿 八幡前 下河原町   下小路 七反田 沼津新田

 元禄五年沼津驛と改称す。明治に至り沼津町と称し、
四區三十六町に別てり。

 三枚橋區
 平町 新田町 三枚橋町 横宿

 上土區
 志多町 川廓町 上土町 六軒町 八幡町 七反田 
   新裏町

 本町区
 通横町 大門町 上本町 下本町 鵰町 新町 
  下小路町 魚町 仲町 筥町 下河原町 浅間町
 出口町 市道町 栄町 沼津新田 西宮町 東宮町 緑町

 城内區
 条内町 追手町 片端町 添地町 町方町 西條町

 元禄年間の戸数は六百拾壱戸なりしが、現今猛かに増加し戸数二千六百,人口壱万四五千を以て数へられ、奮幕時代には東見附は新田町(山王前、今の杉山周蔵氏の前)西見附は出口町(栄町の入口)にありしが.今は其跡を存せず。
 沼津停車場は明治廿一年東海道鉄道の布設と共に設けられ、追手町の新道を造ちる。
 以後漸を以て隆盛に赴き伊豆西海岸地方には、常に汽船の往復絶えず、日に増し商業盛になれり。



0 件のコメント:

コメントを投稿