Geisyaumeryuu from 徹 長谷川
芸者 梅龍
―山本五十六とのこと一
巷間・レポ 鈴木隆義
昭和16年4月18日、太平洋戦争のさなか「海軍総司令長官山本五十六,太平洋上ニテ米軍ノ襲撃二会イ戦死ス」の悲報が伝えられた。全国民の悲しみの中,とりわけ悲嘆に暮れたひとりの女性がいた。その人の名は梅龍こと河合千代さんであった。新橋の芸者として軍人山本五十六の寵愛を受け,彼女もまた山本に尊敬と強い愛情を寄せていたのである。
今年の正月,沼津新聞に「市内牛臥海岸の旅館せせらぎ荘が塚田川の悪臭の影響で営業不振に陥り廃業となった」と報ぜられた記事を読者の中には記憶している方も多いと思う。その旅館せせらぎの女将千代さんが他でもない往時の新橋の芸者梅龍その人である。
千代さんは語る一一「その当時,わたくしは新橋で芸者をしていました。軍人山本五十六さんに初めて会ったのは,わたしが28才の時,当時野島家という置屋にいたときのお座敷でした。それ以後,山本さんの男としての情熱と心意気にほれ込んで,陰ながら力になろうと,山本さんとその部下の人達にしてあげました。
山本さんは本当に心の温い人でした。昭和17年,わたしが胸をひどく病んでいた時,当時広島県の呉にいた山本さんは『呉までこい。私の主治医にみせよう』とよんでくれ歩くことさえ困難に衰弱した私を抱きかかえて介抱してくれました。やがて全快した私は東京に戻りましたが、結局逢ったのはそれが最後で,翌18年の4月に亡くなられました。
その直後からわたしのところへ鹿岡という海軍の軍人がたびたび来て『お前が生きていては海軍にとって不都合だから自決するか尼になれ』といって迫りましたが結局,死にきれず沼津の保養館(元静浦ホテル)に部屋を借り強制疎開という形で住むようになりました。丁度昭和19年だったと思います。これが沼津に住みつく始まりです。その後,保養館を出てから八幡町で割烹〈せせらぎ〉をひらきましたがうまくゆかず,結局昭和30年からこの旅館せせらぎ荘をやって今日に至りました」という。
戦争には必ずいくつかの悲しいドラマがつきまとい,そしてその主人公達の運命も戦争によって大きく変えられたのである。このヒロイン千代さんの場合も決して例外ではなかった。
広報誌《終戦特集》の取材で元旅館せせらぎ荘を訪問した私たちは応接間に通されて初めて千代さんに会う機会を得た。70才とは思えない若さと品格のよさ,一糸乱れぬ髪,端正な和服のきこなしにさすが往年の新橋芸者を思わせる気品をどことなく漂わせている。訪問と取材の趣旨を伝えると心よく理解して下さり,昔のことを思い出しながら色々と語って下さった。
「私が芸者になることは,親からは大反対
をされてしまいました。だけど父が仕事に失敗し,一家4人の生活を扶けるには,当時としては適当な職もなく,芸者になるのが一番だと思いました」という。
新橋芸者は伝統の芸術として当時ポッと出の千代さんの前には,その門は堅く閉されていた。しかし,名古屋の商業女学校を出ている才媛の千代さんは,やがて周囲が驚く程芸に励み,梅龍という名で客からの人気はいやが上にも高まった。と,そんな時,軍人山本五十六との逢瀬を楽しみつつこの人の為に尽そう,この人に自分の青春をとことん賭けようと心に誓ったという。「山本さんには自分のすべてを貢いでしまった。身も心も,客からもらった財の殆んども」若き日の芸者梅龍の真摯な青春の姿がそこにはあった。
色々なドラマを色々な場所で残した」戦争が終って早くも27年の歳月が流れた。しかしこのヒロイン梅龍さんの胸の中にはまだ戦争の残像が消えやらない。いや一生消え去ることはないだろう。戦争で死んだ男,その面影を抱いて残った女ーーその悲しくもせつない物語は戦争に限らずいつの世にも生まれる話である。しかし戦争が舞台となるような物語はこれが最後であって欲しい。どんなに人の心をうつドラマでも戦争をその背景にだけはしたくない。
山本五十六とのことを語りながらも,当時から約30年を経た現在の世相を,梅龍ねえさんはあまりのへだたりを嘆きながら,はっきりとき『めつける。以下,読者に御紹介してみたい。
○今度の総理大臣はずい分若いけれどしっかりしていますね。山本さんと同郷の新潟の人。田中さんは山本さんの生まれ変りだと私は思いますよ。山本さんもきっと喜こんでいるでしよう。もし生きていたら,二人で日本を創っていったろうになあと,思いましたよ。
○いまの若い人達はあれでいいんでしょうかねェ。男女の仲に貞操観念が欠けていますよ本当に。アメリカさんに負けてからどうもよくないですね。
○大学生もいけないけれど,今の学制がどうもいけない。金がかかりすぎますし,勉強したことが卒業しても何の役にも立っていない。
○赤軍派なんてのは国家の恥ですよ,あんなのは。大学生に値しませんよ。勝手すぎますよ。
○人間どの家庭でも戸締りはします。一国も同じで自分の国は自分たちで守るのは当然じゃありませんか。自衛隊は必要ですよ。
○自分の役目としてやってみうといわれたことは,たとえ反対の意見が自分にあったとしても精一杯やってみることですよ。特に今の若いものをきたえあげなぎゃあ日本は駄目になってしまいますよ。
語れば尽きない梅龍ねえさんの話に,私たちもつい長居をしてしまいましたが,山本五十六との恋に明け悲恋に終ったその青春日記は,本誌には掲載を省きます。
いまは独り静か。せせらぎ荘も看板をはずす。
塚田川の悪臭は,公害という現代病で,風流梅龍ねえさんをも廃業に追いやってしまいました。
これも世の移り変りか。
(1972年8月発行「翔」№173号 NUMAZU・JC)
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