2020年3月15日日曜日

二つの「みゆきばし」 渡邉美和 (沼朝令和2年3月15日言いたいほうだい)



 二つの「みゆきばし」 渡邉美和

 下香貫に二つの「みゆきばし」がある。一つは塚田川の河口に架かる牛臥「御幸橋」、もう一つは新川に架かる藤井原「行幸橋」で、いずれも平仮名表記は「みゆきはし」。
 そもそも、知人のH氏と共に数年前に藤井原みゆきばしを訪れていた。
 ところが、最近、広報で牛臥地区にある「みゆきばし」の架け替え工事が報じられたのである。
 私たちは違和感を覚えた。みゆきばしは藤井原ではないのかと。現場を訪れて見た。そして改めて認識したのである。下香貫に二つの「みゆきばし」があったことを。
 牛臥みゆきばしは既に工事が進行していた。三カ所が残る親柱は、「御幸橋」・「みゆきはし」という橋名や「昭和十年十一月竣工」というプレートが残っていた。特に親柱には二段のカーブ面取りがなされ、上面には溝が掘られ、細工が凝っていた。高覧部分はありきたりだが、橋躯体はきれいに整形された石積みで、橋台はコンクリート製の水路となっている。これが橋そのものと同時代か否かは不明。
 親柱と高覧は共にコンクリート製で、表面は、さらに細かな砂利で化粧され、研ぎ出されている。鉄筋または鉄骨コンクリートの桁橋と推察される。
 藤井原みゆきばしは下香貫の新川をまたぐ市道に架かっている。橋の北東は藤井原、北西側は前原、南側は樋ノロという地名で、これらの境に位置する。
 四カ所の親柱には擬宝珠を模した笠が付き、高欄はわずかにアーチ状を呈し、高欄手すりは半円形にくり抜かれている。全体は鉄筋コンクリート製で表面は研ぎ出しで化粧されているが、さすがに全体的に老化している。
 橋のデザインとしては、昭和初期の流行でもあるアール・ヌーボーが容易に感じられ、沼津市内に残る橋の中でも時代性を反映した風格やデザインの秀逸さを醸している。
 藤井原みゆき橋の道は、かつての沼津から馬場などの下香貫を経て島郷や志下へ通じる主要路線だ。そして、明治二十年の地図では、現在の上香貫吉田町の夜光付近から玉江町交差点を通って下香貫の馬場に向かう道が建設または建設中となっている。
 このような背景の下に藤井原みゆきばしは竣工した。そして昭和五年の行幸に供された。
 牛臥みゆきばしはへ或いは御用邸設置当時のルートであったのかもしれない。両橋は一㌔しか離れていない。漢字表示の差異は同じ音による混乱を最小限に留めるためなのかもしれない。
 この二つのみゆきは二つの面から価値の再認識ができる。一つは、沼津と皇室との関係史であり、もう一つは、沼津のデザイン史とのかかわりである。藤井原みゆきばしについては、文化財的な価値発掘について、地元自治会や市でも検討いただきたいと考える次第である。
(沼津郷土史研究談話会、上香貫南本郷町)
【沼朝令和2年3月15日(日)言いたいほうだい】

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