2020年3月17日火曜日

歴民で企画展「そだてる漁業」 市歴史民俗資料館


 1世紀にわたる沼津の養殖の歴史
 歴民で企画展「そだてる漁業」
 御用邸記念公園内の市歴史民俗資料館は、企画展「そだてる漁業養殖をめぐる沼津の一世紀~国指定漁具コレクション養殖用具」を56日まで2階展示室で開いている。
 沼津の海面で行われてきたノリや真珠、魚類の養殖を取り上げ、歴史史料や国指定重要有形民俗文化財「沼津内浦・静浦及び周辺地域の漁撈用具」の中から主な用具を展示。当時の時代背景などを説明しながら約1世紀にわたる沼津の養殖の歴史を紹介している。
 沼津の養殖の始まりはノリで、明治13(1880)に重須村(内浦重須〕の陰野川河口汽水域で、葉を落とした木の枝を45本まとめた「粗朶(そだ)ひび」を海底に立て、海中を漂うアサクサノリやスサビノリの胞子を付着させて栽培するという三保のノリ養殖技術が伝えられ、高品質の海苔を1日に45千枚製造。昭和46(1971)まで生産されていた。
 有形民俗文化財のうち、粗朶ひびを立てるために海底に穴を開けるのに使われた大きな木槌「掛矢」で叩いて打ち込む粗朶杭、木の股に足をかけて両手に力を込めて海底に打ち込む樫で作られた二股の「振り棒」が並ぶ。

 真珠の養殖は三重県の英虞(あご)湾で御木本幸吉が明治26(1893)に成功し、沼津では明治4142(190809)にかけて百瀬四郎という人物が内浦重寺で始めたが、この百瀬という人物については素性が明らかになっていないという。参考史料として大正2(1913)に内浦漁業協同組合が県に提出した畜養から真珠養殖への「使用目的変更御願」が展示されている。
 約1650平方㍍の養殖場に約6万個の真珠貝を養殖していたが、第一次世界大戦による欧州への販路の制限と、外敵による真珠母貝の損失によって大正8(1919)に幕を閉じた。
 その後、清水港の真珠養殖業者が昭和2526(195051)に西浦木負に真珠の養殖筏を移設するようになった。29(1954)から県水産試験場が西浦古宇で真珠養殖試験を開始し、31(1956)には同地区の40軒のミカン農家が真珠養殖組合を結成。内浦、静浦漁協でも真珠の養殖が始まった。

 30年代には活況を呈し、31年、内浦三津に東海汽船が三津真珠館を開館。県内の生産量は38(1963)1492㌔、生産額は39(1964)48500万円でピークに達したが、その後、水質の悪化や寄生虫の発生、価格低迷やブリ養殖の好況によって真珠養殖は急速に衰退。47(1972)までに、ほとんど行われなくなった。真珠館は43(1973)までに閉館し、その後、三津天然水族館(現在の伊豆・三津シーパラダイス)の海獣館となり、現在はコンビニエンスストァ。
 会場では、有形民俗文化財に指定される真珠選別器として使われたフルイ、貝を開く時に使用された刃物の採収出刃、翼珠の色艶や傷を見る真珠仕分け具、養殖に使った丸寵、平籠、開閉式段籠をはじめ、重須の養殖場で採取された真珠の実物などが並ぶ。
 このほか、東熊堂で行われたウシガエルの養殖、明治43(1910)に重須に開設された県水産試験場で行われた伊勢エビの繁殖・養殖、国内生産量の半分以上を占めるまでになったマアジ養殖などを紹介している。

 千葉県から訪れていた観光客は「沼津には初めて来たけれど良い所ばかり。御用邸では近代以降の皇室について知ることができて良かった。沼津のおいしい魚も、長年にわたる養殖の歴史に裏付けられていることを知ることができた」と話していた。
 入館無料。公園入園料として100(小中学生50)
 開場時間は午前9時から午後4時。
【沼朝令和2317日(火)号】

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