日本統計学の祖「杉亨二(すぎこうじ)」杉亨二伝駿河国時代の一部
杉 亨二 こうじ (沼津兵学校員外教授方)
文政11年長崎に生まれる。初名純道。大坂の緒方洪庵や江戸の杉田成卿の門に入り蘭学を学ぶ。勝海舟の知遇を得、その推薦で老中阿部正弘に仕える。やがて蕃書調所に出仕し、その教授をつとめた。維新後は駿府に移住し、藩首脳に政表(統計)調査の必要を訴え、明治2年に沼津と原で我が国最初の近代的な戸口調査を実施した。また静岡学問所でも教鞭をとったが、明治2年末には沼津兵学校員外教授方に転じ、やがて二等教授方となった。明治4年に政府に出仕、以後左院・太政官・統計院などで統計調査・戸籍調査を推進した。明治15年には共立統計学校を設立して、一層の統計学普及につとめた。また、明治初期には明六社のメンバーとしても活躍している。大正6年没。我が国統計学の始祖、国勢調査の先唱者として知られる。
↓杉亨二伝駿河国時代の一部
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