国内最古、弥生期の坑道
土器出土、朱を採掘徳島
徳島県阿南市の若杉山遺跡で、赤色顔料である水銀朱の原料「辰砂(しんしゃ)」を採掘していたとみられる坑道跡から、弥生時代後期(2~3世紀)の土器片5点が見つかり、市が1日発表した。坑道が掘られた時期は不明だったが、土器から弥生時代後期と推測でき、市は「日本最古の坑道」としている。
これまで最古とされた坑道は、奈良時代(8世紀)に始まった長登銅山(山口県美祢市)という。
若杉山遺跡はこれまでに辰砂原石や精製用の石臼、勾玉(まがたま)などが出土している。阿南市によると、坑道は人為的に掘られた形跡があり、坑道内では石きねも見つかっている。坑道の高さは約1㍍、奥行きは約13㍍で、三つに分岐して掘り進められたとみられる。
弥生土器片は、入り口から3㍍の地点で見つかった。中世の土器片も見つかり、市は「中世段階で、坑道が改変された可能性はある」とみている。
徳島県教育委員会の調査で、坑道のほかに、弥生後期ー古墳時代に辰砂を露天掘りした痕跡も見つかった。
大久保徹也徳島文理大教授(考古学)は「農耕作が中心と考えられていた弥生時代だが、坑道を掘る技術をどうやって得たのか。また、坑道を掘る必要があるほどに辰砂の需要が高まっていたと考えられる点も興味深い」としている。
近くにある加茂宮ノ前遺跡では水銀朱を生産したとみられる縄文時代後期(約4千~3千年前)の石臼や石きね300点以上が出土している。
坑道は、旧加茂谷村(現阿南市)の村誌(1954年)で存在が指摘されていたが場所が分からず2017年に再発見された。
23日午後1時半から阿南市冨岡町の阿南ひまわり会館で報告会を開く。
【静新平成31年3月2日(土)朝刊】
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