駿府城「幻の城」歴史的価値、今後は
静岡市葵区の駿府城発掘調査で、豊臣秀吉が家臣中村一氏に築かせた城の遺構が見つかった。「幻の城」とされていた城で、徳川家康だけでなく、秀吉も駿府城を重視していたことを示す発見だという。その歴史的価値や今後の整備について2人の専門家に聞いた。
小和田哲雄静大名誉教授
発掘進めば今川館跡も
ーなぜ「幻の城」とされていたのか。
「中村時代の駿府城については、これまで史料も遺構もなかった。力がない中村が家康の立派な城を壊してまた城を造るとは、普通は考えないため、これまでは真新しい(家康が築いた)駿府城に、そのまま入ったのだろうと理解していた。しかし、実際には秀吉が城を築かせていた」
ー秀吉は、なぜ金箔瓦を使った城を築いたと考えられるか。
「家康を相当意識して脅威に思っていたからこそ、豊臣勢力の最前線である駿府に金箔瓦の城を築かせたのだろう。これまでは秀吉が圧倒的な力を持っていたという認識だったが、秀吉の思いは必ずしもそうではなかったことが分かった」
ー大御所時代の家康が、秀吉の城の上に駿府城を築いたことも明らかになった。
「家康は豊臣の色を消したかったから、秀吉の城を埋めたと考えられる。だから秀吉も家康5カ国時代(駿河、遠江、三河、甲斐、信濃の国の大名時代)の城を壊し、その上に金箔瓦の城を建てた可能性が出てきた。さらに掘れば、5カ国時代の城や今川館の痕跡が見つかるだろう」
ー市は将来の天守閣再建を目指している。
「個人的には反対。天守閣の姿は正確な史料がなく分かつていない。石垣部分など史実に忠実な復元には反対しないが、想像では建ててほしくない」
(聞き手=政治部・内田圭美)
加藤理文(日本城郭協会理事)さん
2天守台見せる整備を
ー今回の発見は日本城郭史において、どのような価値があるか。
「織豊期の天守台が建造当時の姿で残っているのは全国初の事例。同時代の天守台は全国にあるが、いずれも江戸時代に改修されている。今回の天守台は地下に埋まっていたため、家康が大改修を開始した1607年よりも前の姿が保たれている。秀吉が築かせた城の様子や史料が少ない駿府城主・中村一氏の解明につながる、歴史を変える発見だ」
ー秀吉にとっての駿府城の位置づけは。
「大量の金箔瓦と巨大な石垣は『大阪城の分身ここにあり』という力の入れようだ。一氏個人ではなく、政権が築かせた城と考えるのが自然で、豊臣領国にとって極めて重要な場所だった」
ー金箔瓦を使用した意図は。
「金箔瓦は当初、豊臣一族以外は使えなかった。次第に政権を支える大名にも使用許可を与えるようになり、特に徳川領国周辺の城に使われた。駿府城は豊臣領国の東端にあり、徳川に高い技術力や経済力を見せつけ、抵抗を抑止する役割を担ったと考えられる」
ー今後の整備万針についての考えは。
「二つの時代、しかも家康と秀吉が関わった天守台が同じ場所に存在するのは日本で唯一、駿府城だけ。復元や埋め立てはせず、現存する二つの天守台を同時に見せられる整備を望む。『本物』をいかに残すかが大事だ」(聞き手=政治部・山下奈津美)
【静新平成30年10月25日(木)朝刊】
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