2018年10月9日火曜日
市民講座「日吉廃寺ってどんなお寺だった?」
発掘調査から見えた日吉廃寺跡 沼津教育委員会 小崎晋
3まとめ
沼津市教育委員会が実施した本調査面積は合計約3,200㎡です。これは遺跡として登録されている面積の10%程度に過ぎません。しかしながら出土した遺物は遺物収用ケースで1,000箱以上の遺物が出土しており、推定される遺勃点数は100,000点近くに及びます。これは発掘調査で出土する遺物量としては極めて膨大な数であり、そのほとんどが瓦です。また、平成25年度の調査で出土した仏像の頭髪である螺髪や仏像の胴体の一部と推測されるものが出土しており、同時に市指定文化財となっている塔趾などの存在から、当地にかって寺院が存在したことは間違いないと思われます。
ただし、日吉廃寺跡に関連した古代の遺構は柱穴列のみで、日本大学の調査で想定されていた寺院の重要遺構は確認できず、同時に重要遺構に伴うであろう基壇や礎石なども一切確認できませんでした。確認された柱穴列については部分的な検出にとどまっており、配列なども不明です。回廊の存在も想定されていましたが、不明なままです。
また、前述したように平成28年度の調査において堆積する土壌の自然科学分析を実施したところ、当該地は水田などの耕作によって大きく改変されていることが判明しました。これらの結果を踏まえると、塔趾を除いて、地山に掘り込まれた遺構以外は大きく破壊され、重要遣構を示す基壇等はすでに消滅している可能性が高いものと思われます。
日吉廃寺跡は古代初頭におけるスルガ国の中心地が沼津市域にあった事を示す重要な遺跡であるという歴史的な位置づけは変わりませんが、近年の発掘調査の結果として、これまで想定されていた寺院としての様相を裏付ける証拠は得られず、むしろ時期、規模、伽藍配置などについて大幅な再検討を迫られることになりました。
日吉廃寺の真の姿に迫るためには、これまで実施した発掘調査で検出された遺構や遺物について慎重に検討する必要があります。ただし、これまでの調査範囲が限定されでいることから、今後、更なる発掘調査を実施することで、古代寺院としての様相が明らかになるものと思われます。(沼津市教育委員会 小崎晋資料)
当日配布資料↓
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