2018年10月6日土曜日

香貫山 浜悠人


香貫山 浜悠人

 スポーツの秋だ、山に登ろう。その点、沼津は日本一自然環境に恵まれている。町中を水量豊かな狩野川が貫流し、周囲には緑濃い山々が見守っているではないか。
 或る人が言った。沼津は二獣三鳥に守られていると。一獣は牛臥山の牛であり、二獣目は象山(徳倉山)の象だと、一鳥は愛鷹山の鷹で、二鳥目は鷲頭山の驚、三鳥目は香貫山で、香貫山は別称、鶏足山と呼ばれ鶏に因む。上空から俯瞰すれば鶏の足の如く尾根や洞が見られる。
 南に一ノ洞、二ノ洞、三ノ洞、長洞、北に天神洞、美人洞、丁子洞などの名があるが、今では市の斎場入り口の天神洞と霊山寺口の大洞が知られる。霊山寺口は戦前、失業対策としてドライブ道が造られ、ここより山腹を縫い、曲がりくねり、香貫の八重に抜けている。
 今回は高さ一九三㍍の香貫山を霊山寺口より入ることにした。まずは山の神のある、ひっそりとした日影道を過ぎ、左に湾曲して往くと「玉磨りていにしへの日は永かりき」と刻まれた原田浜人の句碑にあたる。
 さらに迂回し進むと香陵台に達する。五重の塔になる戦没者慰霊平和塔、狩野川の水を苦心さんたん灌概用水に拓いた植田内膳頒徳碑と、さらに「香貫山いただきに来て吾子と遊び久しく居れば富士'晴れにけり」と詠んだ牧水歌碑が見られる。
ここから旧ドライブ道は直進、中腹を曲がり展望台に至るが、今回は直登し紫陽花をかきわけ、昔あった航空灯台の方に進む。
 「沼津市史」によると「香貫山灯台は昭和八年八月建設、海抜百五十米の山上にそゝり立ち、その高さ約十五米、一千燭光をレンズにて三十五万燭光に拡大し、廻転しつつあり、六十粁以上に及ぶ光芒を夜毎に放ち空の羅針盤をなしつゝあり」と記述され、当時、東京ー大阪間に十六カ所の航空灯台が完成し、夜間の郵便飛行に寄与していた。
 戦争もたけなわとなった昭和二十年には、灯台の下に機関砲の陣地を構えた。戦後、灯台も香貫山から達磨山に移築されたが、ジェット機の時代に入り、その必要性もなくなり、取り壊された。
 現在、灯台跡地にはコンクリート製の四阿(あずまや)があり、一息ついてから山頂へ向かった。夫婦岩を経、近くにある沼津のおいしい水道で喉をうるおし、空地もままならぬ山頂にたどり着いた。休むことなく近くの展望台へと歩を進める。
 戦後、この地には天守閣を模した三五(あなない)教の天文台があった。昭和三十二年から四十八年に閉鎖、撤去するまでの十六年間、その威容を誇っていた。
 展望台から愛鷹山、富士山、駿河湾、千本浜、大瀬崎、達磨山、天城連山を一望のもとに眺められ、眼下には狩野川、市街地が広がり、まさに絶景である。しばし休憩の後、帰途につく。
 展望台の石段を下れば、右は旧ドライブ道でゴルフ練習場、市水道部貯水池を経て八重坂口に出る。その先は沼津アルプスに連がる。左の周遊ルートをたどれば桜台と新桜台を経て、出発地の香陵台に戻る。途中の草花も豊かで春の桜、六月の紫陽花、秋の紅葉と季節ごとに、それぞれ目を楽しませてくれる。香陵台の茶店で一服し、下山した。
 今回の山行で香貫山は町中の近くにあり、富士山、駿河湾と山や海を一望できる日本一のお山だと改めて思った。
(歌人、下一丁田)
【沼朝平成30106()号 寄稿文】



0 件のコメント:

コメントを投稿