2018年3月16日金曜日

沼津の教育のさきがけ 土屋新一【沼朝平成30年3月16日(金)「言いたいほうだい」】



沼津の教育のさきがけ 土屋新一
 江原素六の十五歳の頃は、家は貧しかったが、昌平黌に学び、元服式を行った。
 今年は、明治維新、激動の旦傘の夜明けから百五十年。徳川家の駿府移封に伴い素六は江戸から沼津に移り、沼津兵学校を設立して百五十年の佳節を迎える。
 幕末、素六と阿部潜(※)はかねてから、組織的な洋式訓練を学ぶことが、これからの時代の要請であり、士官養成の学校の設立が必要だと考えていた。沼津兵学校設立の意図は、旧幕臣の新たな人材育成と授産事業、西洋文化の活用であった。一流の学者を招聘(へい)し、英語・フランス語・数学は微分積分等、体操、図画、剣術、乗馬、水泳、あらゆる学科を揃え、附属小学校を設け一貫教育を目指した。
 さらに、病院も建設するなど当時の日本国内では、この沼津兵学校に勝る学校は他になかった。
 しかし四年後。明治政府により陸軍兵学寮に合併吸収され、教授等の多くは東京に移った。素六は沼津に残りこの地の教育上の空白が生じることを心配して、集成舎を創立して正則科(小学校)と変則科(中学校)を設けた。教科書を中心とした近代的な初等中等教育が行われ、正則科は現在の第一小学校(今年百五+年)に受け継がれている。同校は日本での最初の小学校で、現在の算数が小学校教育の中で初めて採り入れられ、小学校教育の算数の発祥地となった。
 変則科は沼津兵学校に代わるべき学校として、教科書は日本で最初の代数学の本を使用した。明治九年に変則科は沼津中学校として独立し、各実共に静岡県最初の中学校となった。
 校長の素六以下兵学校以来の優れた漢学・英学・数学の教師を擁し、高レべルの教育を展開した。素六は、静岡師範学校の初代の校長、東泉の東洋英和学校校長、麻布中学校を設立して校長となるなど、近代日本の教育界に数々の足跡を残した。
 日本女子大学の入江寿賀子は「素六の考え方はより開明的であり、より幅広い思考経路を有しており、福沢を一歩抜きんでている」と述べている。
 素六は女子教育論の中で、男女平等、個の尊重をはっ者り打ち出して常に女性の地位の向上に努めており、駿東郡唯一の駿東高等女学校(現在の沼津西高)を設立した。校長室には「衣錦尚褧(いきんしようけい)」の扁額が掲げられており、女学校の門出を祝い、生徒のために、これから行われる女子教育に願いを込めて揮毫されたものである。
 錦の衣を着た時は、その上に薄い布を加えること、うわべを飾らぬ喩え、という意味から、才徳をあらわに出さず、慎ましく、たしなみをもって生きよ、と語りかけている。
 沼津西高は県東部において、名実共に健全な発展を遂げて立派な人材が輩出して社会に大きく貢献している。素六の掲げた教育理念は脈々と今に生き続けている。
 学生賭君、郷土沼津には、このような偉大な教育者がいたことを誇りに思い、自信を待って勉学に励み、入学されることを望む次第である。
 ※阿部潜(素六が撤兵隊長の時に榎本武揚に引き合わせた人物)
(公益社団法人江原素六先生顕彰会会長)
【沼朝平成30年3月16日(金)「言いたいほうだい」】

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