駿府城に「秀吉の城」跡
最善の整備方針を模索
「考古学や城、歴史にあまり興味がない人も発掘現場に来るようになった」。静岡市の駿府城発掘調査で、豊臣秀吉が家臣に築かせた城の跡が見つかったと公表されてから約2カ月。同市葵区の駿府城公園にある発掘現場を訪れる人が増えたことを、ガイドする文化財サポーターは喜ぶ。
発掘現場では現在、秀吉と家康がそれぞれ築いた石垣や秀吉の城に使われていた金箔(きんばく)瓦を見学できる。県内外の城跡ファンはもちろん、「大発見があったと聞いて初めて来た」という帝民も多い。市の担当者は「10月後半の来場者は通常の3倍に増え、12月も多い傾向だ」と話す。"大発見"の兆候を、市の発掘作業員が最初に感じたのは2017年秋のこと。「ないはずの場所に石がある」。調査は年度末で一時中断したが、18年5月に再開すると、徐々に石垣が姿を現した。近くで金箔瓦も次々と発見。「これまでの遺構とは明らかに違う」「秀吉政権下の城か」ー。作業員の間に高揚感が広がった。
8月には石垣の遺構が全貌を現した。市は急きょ、考古学や土木工学、戦国時代史の専門家計8人に現地調査を依頼。秀吉が家臣に築かせた城の跡だと判定された。
家康と秀吉の城の遺構が同じ場所で見つかって遺構の価値は高まったが、家康の城の天守台復元を目指す市は難しい判断を迫られている。市民の間で「歴史的価値が高まったからこそ復元すべきだ」「二つの遺構をそのまま展示したほうがいい」と賛否が割れる。
遺構は一度壊したら元に戻せないだけに、最善の整備とは何か、慎重な検討が必要になる。市は19年度から、出土した石垣の耐久性を調べ、有識者を交えて復元と保存を両立する方法を探る方針だ。
(政治部・内田圭美)
〈メモ〉静岡市は10月16日、秀吉が家臣中村一氏に築かせた城跡を発見したと発表した。秀吉の城の特徴とされる金箔瓦約330点と、家康の天守台の石垣とは異なる特徴の石垣が出土した。家康が秀吉の城を壊した上に駿府城を築いたことも明らかになった。
【静新平成30年12月22日(土)「追跡」】
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