2018年12月23日日曜日

駿東病院の薬瓶 長谷川徹




駿東病院の薬瓶 長谷川徹
 ー「沼津兵学校創立150周年記念式典」に向けてー
 来年一月二十日(日)に開催される「沼津兵学校創立150周年記念式典」に向けて、実行委員会では、「沼津病院・駿東病院跡」記念碑の設置や『沼津兵学校記念誌』の制作準備が大詰めを迎えています。
 記念碑チームは、沼津病院跡記念碑の設置予定場所として、旧国道一号(現県道富士清水線)の西条町地先、元鈴与商事沼津支社付近(明治二年三日へ沼津兵学校附属陸軍医局が設置された)を重点に調査をしておりました。
 さらに、支社とガソリンスタンドの建物が撤去されたため鈴与本社に足を運び、記念碑の設置などについて協力をお願いしました。
 今年六月初めに、鈴与から実行委の匂坂信吾事務局長宛てに、整備中の土地から病院関係の遺物が出土したとの連絡が入りました。
 その土地は、明治二年八月に医局を引き継ぐ形で沼津病院が開院され、昭和二十年六月閉院、同七月の沼津大空襲で焼失した、私立駿東病院に至るまで、七十六年間にわたり存続して地域医療に貢献した由緒ある場所です。
 六月十九日()午後一時、西条町の鈴与ガソリンスタンド跡地に実行委員の匂坂、仁王一成と私長谷川が集合しました。現場担当者の話では「先日、地面を掘削していたら昔の病院医療廃棄物(六・五立方㍍)が出てきた」ということで、そこには、駿東病院で使われていたと思われる病院名入りの薬瓶、薬差し、注射器、試験管などが掘り出されていました。また、「人髄消毒消毒
液」と読める薬瓶も発掘したとのことでした。
 そこで医療関係の歴史遺産として、薬瓶などを提供願いたいと依頼しました。
 鈴与から連絡があり、病院関係遺物の整理が終わったのでお渡ししたいとのことで、八月一日()、先の実行委員三人と明治史料館主任学芸員の四人で現場事務所を訪問。
 そこには美しいガラス薬瓶が鎮座し、なんと「駿東病院」「室賀病院」「井手診療所」「人體消毒新薬」と鮮明に刻印されていました。
 医療廃棄物は六月時点より増えていて、ドラム缶八十本分に上り、福島県に運んで処理をしたとのことでした。この発見は病院の建物や設備が失われた現在、ただ一つの歴史的遺産であると私は考えます。そして、合計十五本の薬瓶は、明治史料館に保管されることになりました。
 この歴史的薬瓶は明年一月四日()~二十四日()、大手町の沼津信用金庫本店ぬましんストリートギャラリー企画展「沼津兵学校創立150周年記念展」で披露する予定
です。
 市民の皆様、写真ではなく本物の駿東病院(佐々木次郎三郎が五十年間、院長を務めた)の薬瓶を始め、駿東病院初代院長の室賀録郎が大手町に開業した室賀病院の薬瓶、千本緑町の井出診療所(井手敏彦元沼津市長の父上、井手敏男氏開業の小児科医院)の薬瓶など、七十六年間の歴史資産を鑑賞していただきたいと思います。
(フレッシュ150事業担当・沼津史談会会員、大手町)
【沼朝平成301223()「言いたいほうだい」】

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