「瀬川裕市郞追悼集」高尾山古墳を守る会 2020年7月発行
展く
正月気分も抜けきらない中での、副会長の突然の卦報に驚いた。年末の役員会では、時折の不調を、私たちにも告げていたのだが、臥して療養していたわけでもない中で、その報せは思いもよらなかった。
古墳を守るという活動の中での瀬川さんの役割は非常に大きかった。他のメンバーが歴史は趣味と云う域を出ない中で、会の運営を史学という面から支え、意味付ける事は、保存運動を実のあるものにしていく上で欠かせなかった。 郷土史の歴史家、研究者である彼は、何よりも事実の足跡を大事にしていた。歴史好きの私たちのような者は、歴史の残してきた事実のように見える物語が好きだ。一片の歴史的事実が告げるたくさんの物語に夢を馳せる。しかし、彼は物語よりも事実を重んじた、だから、彼にとっては歴史は科学であったのだと思う。彼の仕事は事実の種を見つけだすことで、その果実や花を楽しむのは、私たちのような愛好家だと思っていただろう。そのせいか、ああも考えられる、こうも考えられるという面白い話を、私たちにはあまりしてくれなかった。 インターネットの普及で、誰でもが知りたいことに簡単にアクセスできるようになった。適切な単語をいくつか並べれば、目的の情報を誰でもが得られるし、情報を発信することもできる。昔だったら何冊もの書籍を買い込み、図書館に通い詰めて得た知識が、自分の部屋に居ながらにして手に入る。 この追悼集を「つちを展(ひら)<」としたのは長年郷土史の発掘こたずさわって来た彼への想いからだ。それは、郷土のつちであり、何層にも重なった発掘現場のつちである。「展(ひらく)」とは、平らに広げ並べる、巻いたものを開く、隅から隅まで調べる、などの意味がある。発掘現場の土を一枚一枚はがし、遺物を丁寧にマークしてゆく。虫食いでなくした文字を考え、読みづらい字を写筆してゆく。土器や石器の細かい形状を記録する。とんでもない手間と根気を必要とする作業である。しかし、だからこそ誰もが納得する事実を示し得る。それが彼のプライドであり人生であったと考えている。 高尾山古墳を守る会 会長 杉山治孝 会員 一同
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