2018年11月11日日曜日

沼津兵学校附属小学校が及ぼした他藩・他県への影響:講師樋口雄彦





当日配布資料↓





兵学校附属小学校の規約
 各地の小学校に大きな影響
 沼津郷土史研究談話会(沼津史談会)は、フレッシュ150沼津ふるさと講座を、このほど市立図書館視聴覚ホールで開催。九月十二日に開催された一小創立一五〇周年式典に合わせ、国立歴史民俗博物館教授の樋口雄彦氏が「沼津兵学校附属小学校が及ぼした他藩・他県への影響」と題して話した。
 兵学校附属小学校は、一小の前身。明治元年(一八六八年)十二月に学校規約が作られた。政府は明治五年に学制を定めて小学校から大学校までの学校制度を整えたが、兵学校附属小学校は学制に先立つものだった。
 樋口氏は、兵学校附属小学校の規約と、学制発布前後の各地の小学校の規約を比較し、先行していた兵学校附属小学校の規約が他校の規約にも類似した形で採用されている例を挙げ、他校に及ぼした影響を指摘した。
 こうした影響の背景には、兵学校附属小学校を設立した静岡藩の「御貸人」制度があるという。これは藩内の優れた人材を各地に派遣する制度で、兵学校の設立に関与した阿部潜も御貸人として鹿児島に行っていた。こうした人脈が、各地の学校設立時に沼津式の学校規約の導入に寄与したと見られる。
 樋口氏は「わずか三年半で附属小学校はなくなってしまった。一瞬の輝きを放っただけだと思われがちだが、実際は各地の小学校に大きな影響を与えた」「ローカルからローカルへと広まった影響は、その直後に中矢政府が定めた方式に書き換えられたが、沼津と各地には思わぬつながりがあったことを知ってほしい」などと話した。
【沼朝平成301111()号】

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