「七つの子」 浜悠人
毎年十月、千本港口公園では千本ライオンズクラブにより勝田香月、本居長世を偲ぴ碑前祭が行われている。それは沼津の風物詩となっていると思われる。
昭和五十五年、千本ライオンズクラブは結成十五周年記念事業として香月碑を建立、顕彰し、本居長世については六十二年に同クラブが記念碑を建立した。
先日、童謡作曲家本居長世之碑を港口公園に訪ねた。記念碑は伊豆湯ヶ島産の石で、上部に西条八十作詞、本居長世作曲の童謡「残り花火」の一節が楽譜付きで刻まれ、下には国語学者金田一春彦の害で「作曲家本居長世は沼津をこよなく愛し毎年夏にはこの地を訪れ海辺の生活を楽しんだ」とあり、傍らの副碑には「七つの子」「赤い靴」「汽車ポッポ」など十六曲が作詞者名と共に刻まれていた。
表題の「七つの子」は大正十年七月号の児童雑誌「金の船」に発表された。 解説に「不吉な黒い鳥として人々に嫌われていたカラスの鳴き声を子煩悩な親の鳴き声にしてこんなにも慈愛あふれる詞にするあたり作詞者野口雨情の人柄の良さ心のやさしさが垣間見られ、たまらなく親しみを覚える」とある。
七つの子
烏なぜ哺くの 烏は山に 可愛七つの 子があるからよ 可愛可愛と 烏は啼くの 可愛可愛と啼くんだよ 山の古巣に いって見て御覧 丸い眼をした いい子だよ
本居長世は国学者本居宣長から六代目にあたり、明治十八年、東京御徒町に生まれ、東京音楽学校(現東京芸大)を卒業。明治時代の唱歌に代わり大正から昭和にかけて童謡を作曲、童謡隆盛の一角を担った。
大正九年、中山晋平の紹介で「金の船」に「葱坊主」を発表、新日本音楽大演奏会で発表した「十五夜お月さん」は、長女みどりの歌によって一躍有名となり、以後、野口雨情等と組んで次々と童謡を発表。その後、次女貴美子(後に三女若葉も)等と共に日本各地で公演を行った。
大正十二年、関東大震災により甚大な被害が発生すると、日系米国人を中心に多くの援助物資が贈られた。その返礼として日本音楽の演奏旅行が企画され、本居長世も二人の娘と共に参加し、アメリカ各地で公演した。
先年、東京目黒にある目黒不動尊を参詣した折、近くに住んでいた本居長世を記念し、境内に「十五夜お月さん」の歌碑が建立されていた。
歌碑の説明文には「童謡は第一流の詩人が子供のために詩を書き第一流の音楽家が曲を付けた世界に誇る日本の児童文化財で…大正九年野口雨情の詩に作曲した"十五夜お月さん"はいかにも日本的な旋律に変奏曲的な伴奏を配したもので、この種の先駆的作品として重ん'じられました…本居長世を慕う会 童謡の里めぐろ保存会」とあった。
歌碑にある「十五夜お月さん」を紹介し、結びとしたい。
十五夜お月さん ごきげんさん 婆やはおいとまとりました 十五夜お月さん妹は いなかへ貰われていきました 十五夜お月さん あさんに もう一度私は 会いたいな
(歌人、下一丁田)
【沼朝令和3年7月31日(土)寄稿文】
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