一枚の絵葉書から
小型の写真機が広く普及し、個人でも手軽に写真を撮影して、記録として残せるようになる前は、特に風景などは絵葉轡として印刷されたものを購入することが一般的に行われていました。旅先では記念のお土産として買われることも多かったようです。それらには今では失われてしまった、かつてのこの地域の姿が記録されています。海岸の風景を写したその一枚を紹介します。
この絵葉書の写真は、口野の塩久津(くちのしおくつ)の海岸を写したもので、静浦村当時のものと見られます。絵葉書の名称は「古奈温泉名所・古奈海水浴場」とあります。海水浴が盛んになると、内浦三津には長岡館という海水浴旅館が建てられ、三津坂腿道(みとざかずいどう)を越えて長岡温泉の温泉客を誘客する施設として関係が深かったのに対抗して、古奈温泉が北江間(きたえま)の長塚(ながつか)との切通しを通り、口野の海岸を行楽地の一つとして紹介し、誘客していたものと思われます。
右側には奥に大久保山の岬が、その手前にオオクラサンの岬と建切網漁(たちきりあみ)の御場(おんぼ)の網度場(あんどば)の入江の口が、そして海に向かって平坦な岩礁が延びています。地元で千畳敷と呼ばれる波食台(なみしよくだい)で、対岸のオオクラサンの先端には今も埋め立てられずに残っています。
中央の道路下には大きな岩があります。狩野川(かのがわ)放水路の出口に当たる御場の浜には笠石(かさいし)という大きな岩があったそうで、三島神社の絵馬などにも描かれていますが、それと同じ波食によって形成されたきのこ岩です。軟らかい凝灰岩(ぎょうかいがん)の一部に固いところがあり、そこが残されたものです。冬季の南西の強風による荒波(おらなみ)は江浦湾の最奥部である此処(ここ)にまともに当たります。
左側の道路は埋立地で、旧道と見られます。江戸時代に田方(たがた)地域の年貢米の津出(つだ)しに使われた塩久津の湊(みなと)は左側に深く湾入した入り江にありました。その面影(おもかげ)を残すように帆を備えた石材の運搬船が係留されています。
沼津市歴史民俗資料館だより
2020,12.25発行Vo1.45No.3(通巻228号)
編集・発行〒410-0822沼津市下香貫島郷2802-1沼津御用邸記念公園内
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