2020年10月29日木曜日

地震の被害示す沼津城絵図 大手町関係者の尽力で明治史料館へ寄贈 (令和2年10月29日沼朝記事)

 




地震の被害示す沼津城絵図

 大手町関係者の尽力で明治史料館へ寄贈

 幕末の沼津城を描いた絵図と二の丸御殿の間取り図が明治史料館に寄贈されることになり、その橋渡しをした大手町町内会の役員と、沼津史談会の匂坂信吾会長ら会員2人が28日、大手町会館で、その2点と対面。広げた絵図と現在の町域について確認し合った。



 絵図については「沼津市史別編絵図集」に収められていて、所有者も分かっていたが、その後、所在不明となっていたのが最近になって判明。所有者関係者から同史料館に寄贈されることになった。

 また間取り図についても、同じ間取り図ながら今回の寄贈品にはない文字が書かれた別物が市史絵図集に掲載されていて、こちらの間取り図は所有者から同史料館に寄託されている。

 今回の寄贈品のうち、絵図は万延元年(1860)9月の作製。大きさは105㌢×90㌢。 市史絵図集の説明には、「本絵図の右下に記されている表題によると、沼津城が嘉永七年(一八五四)一一月四日に地震の被害を受けた時の破損の覚とある。幕府に対し補修願いとして、(中略)崩壊箇所を三九箇所列挙し、絵図面に朱引で当該破損箇所を示している(後賂)」とあり、それ以前に描かれた絵図との違いについても説明している。ここで言われている「地震」は「安政の大地震」のこと。

 市史絵図集掲載の絵図は、色合いが赤くくすんでいるが、原図は城の周囲の堀も城の前の東海道も水や道に合わせた着色がされている。

 一方、間取り図は安政年間(18541859)の作製で、絵図集掲載のものは大きさが785x542㌢。

 説明によると、「(前略)沼津城二之丸の城主御殿の住居間取図である。細かい間取や設計が正確に作図されていて(中略)入り組んだ当時の各部屋々々の間取を知ることができる。(中略)安政年間に作成されている間取図に基く住居は、地震後に新たに普請されたものと思われる(後略)」という。

 特に絵図は出席者の関心を集め、「本丸跡が今の中央公園だからー」と現在の建物との位置関係について確認し合い、「堀の水は、どこから引いたのか」の問いには「子持川から」との説明もあるなど絵図談議は尽きず、異口同音に出た言葉は「いや、この絵図は貴重だよ」。

【沼朝令和21029日(木)号】




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