2020年2月6日木曜日

あすなろう 土屋詔二


 あすなろう 土屋詔二
 受験シーズンである。しかし来年から実施される「大学入学共通テスト」が混乱している。目玉だったはずの英語民間試験や国語・数学などの記述式問題が延期になった。
 英語民間試験について、機会の不平等が生ずるという指摘に対して、萩生田光一文部科学相が、「身の丈に合わせて」と発言して炎上した。萩生田文科相は善意から発言したのだろうが、不平等が前提では、教育の機会均等という点から、やっぱり問題であろう。
 そもそも確実に少子化が進む中で、学校側は、それぞれ差別化戦略を工夫している。果たして共通試験が必要なのだろうか。さらに言えば、「身の丈に合わせて」という発想が教育行政の責任者として如何なものか。学習や成長のダイナミズムについての認識である。
 経営学者の伊丹敬之さんは『経営戦略の論理』で次のように指摘した。
 「カニはおのれの甲羅に似せて穴を掘る」という諺がある。企業の経営戦略で言えば、資源や能力に合わせた戦略を取れということである。
 一見正しいように思えるが、長期的な成長のためには必ずしも適切ではない。成長のためには甲羅を超えた穴を掘る必要がある。掘った穴はオーバーエクステンション(過度な拡張)である。短期的には不均衡であるが、その不均衡が成長を促す。身の丈に合わせると、すぐに「成長の限界」に突き当たる。
 井上靖さんの自伝的小説『あすなろ物語』は、新潮文庫の中でも発行部数ベスト二○に入るという。多くの読者を獲得してきた作品であるが、別に『あすなろう』という短篇がある。旧制金沢四高の同級生四人と共通のマドンナが、一五年ぶりに再会する物語だ。
 一人が「自分の郷里の伊豆地方では槇のことをアスナロウと呼んでいる」と言う。すると博識の友人が「槇ではなく明日は檜になろうと夢見ながら成長する羅漢柏のことだ」と訂正する。羅漢柏は檜科の一種でヒバなどと呼ばれるが、翌檜(あすなろ)とも書く。
 『あすなろう』の五人は、夢見ていた人生とは異なる生活を送っていた。作家デビューが遅かった井上さんは、この話に思い入れがあったと思う。井上靖文学館の前庭にも、生誕百年を記念して植樹された翌檜がある。
 オーバーエクステンションとは、言い換えれば「高望み」である。もちろん翌檜が檜になることはない。やみくもな高望みはムダであり、適度な過度拡張であるべきだ。形容矛盾のようであるが、「無理はせよ、無茶はするな」という匙加減が矛盾を止揚する契機になる。
 親の年収などによって塾など学習環境に差が出るので、格差は世代を超えて連鎖する。エスカレーターのような学校で学ぶのを、特権だと思っているように見える世襲政治家もいる。「身の丈」と考えるよりも、「あすなろう」と頑張る方が健全ではないだろうか。
(高島本町)
【沼朝令和2年2月6日「言いたいほうだい」】

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