明治天皇 皇城見取り図発見
焼失4年前、使節団が作成
オーストリァ、手記も保存
見取り図と手記はリンツ市司教区文書館にあり、同市郊外シュタイレック城の宮田奈奈研究員とドイツ・ボン大のペーター・パンツァー名誉教授が調査で確認した。手記には謁見4日後のピアノ御前演奏の様子も描かれ、明治天皇の素顔の一端がうかがえる。
皇城は二重橋(正門鉄橋)に近い現在の宮殿の南側にあった。見取り図は、皇城の玄関から謁見に使われた大広間(手記によると500平万フィート=約46平万㍍)を描写。天皇が謁見時に用いた御帳台や雅楽奏者、グランドピアノなど贈り物の位置のほか、使節団が茶菓の接待を受けた殿上の間も描かれていた。
学習院大史料館の客員研究員を務める岩壁氏によると、皇城の火災で73年までの主な公文書の原本はほぼ残っていない。
見取り図と手記を記したのは、日本と修好通商航海条約を締結するため69年に来日したオーストリア・ハンガリー帝国東アジア遠征隊の3等書記官オイゲン・フォン・ランゾネ男爵。
手記や日本側の外交史料「墺地利使節参朝並条約調印一件」によると、使節団は公使アントン・フォン・ペッツ男爵を全権代表とし、10月16日に皇城で当時16歳の天皇に謁見。ランゾネは、すだれである御翠簾(こすいれん)で顔を隠した天皇が使節団のお辞儀に答礼するため身をかがめて立ち上がつた際「若々しいお顔を拝見する機会にあずかった」とも記した。(共同)
0 件のコメント:
コメントを投稿