死に方の質 宮治眞
八月十五日付の本紙「言い,たいほうだい」に中学校の同級生、千野慎一郎君が「死に方の質」の市民公開講座開催の経緯を投稿。これを前提に企画者の一人として、御礼を記したく思います。まずは参加の沼津市民の方々、さらに名古屋からも何名かが来場していただき、心からの深謝です。
当日の感想を独断と偏見で記す無礼を許されたく思います。
多くの方々の身近な問題への関心の高さです。名古屋開催においては、「易しすぎ」から「難しすぎて面白くない」と、市民が適切な質疑応答に参画することがこれ程に難しいことかなどの評価を得ていました。今回は、その反省を踏まえ、私はともかく、秋山俊學和尚、司会者、総括コメントの人選に心を砕きました。
とくに和尚との初対面では「私は田舎の和尚」で、とてもと断られましたが、私は、この「田舎の和尚」の一言に魅せられて決断し、同席した幼馴染の○○ちゃんには「宮治君、もっと礼を尽くし、頭を下げなさい」と叱咤されました。しっかりと頭を垂れたしだいです。
要は死生学の研究と市民感情の乖離は、どこにあるかです。これは死に関わることだけでなく、死のみならず男と女の仲、医療の現況、政治などを始めとして娑婆の諸々の場面で見られる事象との距離を縮める意図です。
多死社会は老人、不慮、配偶者や子、事故、殺人など果ては死刑による究極の死までをも含みます。
最近の話題から。田舎の和尚曰く「あるがままに・そのままに」に触発されました。親に虐待死された【5歳船戸「:もう おねがいゆるしてくださいおねがいします:」】/【オウム真理教の死刑囚は(「刑場へは自分であるいていく」・控室で「実家の宗派と異なるので」と仏教の教戒を断り、用意した果物、菓子には手をつけず、お茶を2杯飲む。・「支援者や弁護士の方々に感謝します」・「自分のことについては誰も憎まず、自分のした結果だと考えている」・・「被害者の方々に、心よりおわび申し上げます」〉】などは全ての市民にも一端の實任があるように感じます。
死刑囚の一人は私と同業の医師であり、その責任の一端は、私もまた負いたいと思います。
他方で三日間を山中独りで過ごした2歳藤本芳樹ちゃん【「ぼくここ:」】と救出の「生」は一市井人の力です。全裸の入浴中の死は「ああいい湯だな:/腹上死は「ああ、天国だ:」遺族には羞恥、迷惑でも、本人は究極の満足死でしょう。
私事ですが、私の救命に立ち会った後輩医師は二年後に急逝しました。爾来、私は葬儀には不参加で、お悔やみの手紙、自宅へのお参りなどを決断しました。私は後輩三人に託して、寒中お見舞いとしての賀状欠礼のお詫びも自らの手で認め終わりました。「あるがままに・そのままに」です。
良い死に方・悪い死に方の質はあるのでしょうか。ー正解はなく千差万別だと思います。質(quality)とは個性であり、「他と異なる特色を有する」を意味します。
市民公開講座は、所謂(いわゆる)一流の方の講演を「良かった・良かった」と拝聴するだけでは意義が薄れます。ものの見方、考え方は自在でなければならず、そこにこそ多岐に亘る市民の自由な肉声の意見交流があります。これを通して頑迷固陋(がんめいころう)な視野狭窄(しやきょうさく)から免れ、自らの死に方の質を模索し、相性のいい質を選択するものでしょう。
私たちは困ったとき、しばしば「神様仏様」と念じます。死生観的には別の概念にも拘らず、市民の立場では、その底流は何の違和感もありません。
実は、この手作り公開講座の裏方を担ったのは昭和三十二年、中学校卒業の同級生、幼馴染です。
同級会「旅路会」(代表・小川数明君)は卒業以来一回も休むことなく連綿として続き、毎年一月三日、沼津のどこかで逢おうという一言の合言葉です。死を目前に控えつつある若き喜寿の老人たちです。
この源流は卒業時の担任、岩龍こと無冠の帝王、故岩間龍治先生の感性が通奏低音にあると思います。私も岩龍の死に、不肖の弟子の元迷医として関わりました。
この市民公開講座に岩龍の不在は痛恨極まりのない自己批判です。ただ改めて省みれば(結局それが娑婆の現実というものでしょう。満員御礼の影の役者はいまなお生き続けているのです。「言いたいほうだい」への返礼は沼津市民の方々ありがとう。
(医師、沼津市出身・名古屋市在住)
【沼朝平成30年9月1日(土)号寄稿文】
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