2016年1月13日水曜日

沼津史談会 第9回沼津ふるさと塾

第9回沼津ふるさと塾 平成27年12月20日(日)
平成27年度 第9回 『沼津ふるさとづくり塾』


平成28年度以降の新しい講座方式を試行する最初の講座として、初めて複数講師による連続講座を行いました。

沼津自由大学 矢田保久氏(講師都合により、匂坂史談会副会長代行)



















切手でたどる歴史の世界 齊藤正巳氏


















戦国マンガの世界 松村由紀氏



















沼津に測候所があった頃 渡邉美和氏



















会場 沼津市立図書館4階第1・2講座室
主催 沼津郷土史研究談話会(略称・沼津史談会) 後援 沼津市・同教育委員会

当日配布資料集


当日講師団写真集

各界の著名人招き沼津自由大学
 「戦後の再建に文化運動」と連続講座
 沼津郷土史研究談話会(沼津史談会)による第9回沼津ふるさとづくり塾が先月、市立図書館講座室で開かれ、四人の会員による講演が行われた。
 沼津測候所の歴史なども
 史談会会員4人が講演
 沼津自由大学 昭和二十年代前半、各界著名人を講師に迎えた社会問題の学習会「沼津自由大学」が市内で開かれた。会を企画したのは、旧制沼津中学(現沼津東高)の昭和八年卒業者の同窓会である「昭八会」。そのメンバーだった矢田保久さん(100)に代わり、史談会副会長の匂坂信吾さんが、あらましを話した。
 敗戦翌年の昭和二十一年(一九四六)、昭八会の総会が旧海軍工廠跡地の沼津中学臨時校舎で開かれた。多くの会員が戦没した中で、生き残った会員達の間から祖国と郷土の再建を誓う声が上がり、文化運動こそが再建の根本となるとの考えから、有識者を講師とする連続講座が企画された。
 その第1回は同年七月七日から十四日に開かれた。市役所の会議室や第四国民学校(四小)が会場となり、十人の講師が登壇した。
 市内各所に張り出された開催告知のポスターには「文化が大都市偏在のままでは農民解放のなかった明治革命の不徹底さと同様、いつまでも日本の民主化は望まれないでせう」「中央も地方もともども国の隅々から挙(こぞ)って民主化の戦線に加はらねばなりません」などの文言が並んだ。軍国主義から民主主義へと変貌を遂げる当時の社会情勢が色濃く反映されている。
 講師陣には、沼津出身で当時のベストセラー作家だった芹沢光治良や、官僚出身の政治家で東海大学創設者でもある松前重義などが名を連ねた。講演テーマは、当時の世界情勢や国内経済、歴史観の問題などが扱われ、芹沢光治良は「民主主義と文化」と題して話している。
 第2回は同年十一月、第3回は二十二年六月、第4回は二十三年五月、第5回は二十四年十月に開かれた。
 これらの回では、理化学研究所所長で戦時中は日本軍による核兵器開発を担った仁科芳雄や、吉田茂内閣で国務大臣を務めた金森徳次郎、プロレタリア作家の宮本百合子、自伝的小説『放浪記』で知られる林芙美子、マルクス経済学看の大内兵衛、歴史学者で評論家の羽仁五郎、後に東京都知事となった美濃部亮吉など、様々な著名人が講師として登場した。
 番外編的に開催された農業問題講演会には、御殿場出身の元官僚で後に日本社会党委員長となった勝間田清一が講師の一人として出席し、農地開放政策について論じている。
 これだけ多くの有識者を招いて講座を開くことができた背景としては、昭八会のメンバーに朝日新聞東京本社の記者がいたことや、沼中教員で美術研究者でもあった前田千寸(まえだ・ゆきちか)の存在があるという。
 前田は昭八会メンバーの恩師であっただけでなく、芹沢光治良や井上靖にとっても恩師であった。

 沼津測候所 NPO東亜天文学会理事でもある渡邉美和さんは、昭和十四年(一九三九)まで市内にあった測候所について話した。
 測候所は、複数の県を管轄する管区気象台の下部機関。かつては国内各地にあったが、現在は、その大半が自動的に天候観測を行う無人施設の「地域特別気象観測所」に置き換わっている。
 明治十六年(一八八三)、内務省によって全国二十二カ所に測候所が設置された。沼津測候所もその一つで、現在の大手町付近にあった。
 二十年(一八八七).に国立から県立へと移管し、三十五年(一九〇二)に現在の末広町(当時・山神道)に移転した。周辺に人家が密集して気象観測に支障があるため、人家の少ない場所を選んで移転したという。
 昭和の初め、航空機向けに箱根周辺の気象観測をするため、中央気象台三島支台が三島に設置された。昭和十三年(一九三八)から翌年にかけて測候所の整理統合が行われ、沼津測候所は十四年十月に廃止され、三島支台が三島測候所となり業務を引き継いだ。その三島測候所も、平成十五年(二〇〇三)に地域特別気象観測所に移行している。
 明治期に沼津に測候所が置かれた理由として、渡邉さんは沼津兵学校の存在を挙げた。兵学校では理系教育が行われていたので、理系知識を持った人材を現地採用しやすかったのではないかと推測する。
 沼津測候所長を長らく務めた金田綾太郎は兵学校附属小学校の卒業生で、観測技手として沼津測候所に採用され、後に所長になった。金田は昭和十四年の沼津測候所廃止の直前に死去していて、それも沼津測候所の廃止につながった理由の一つではないか、と渡邉さんは見ている。

 切手と歴史漫画 切手収輿家の齊藤正巳さんは、「切手が伝える歴史の世界」と題して切手の図柄から読み解ける世界情勢について講演した。
 その中で、第二次大戦中に各国が宣伝工作のために敵国の切手を偽造したことや、切手の図柄から各国の原子力政策が見えてくることなどについて話した。

 松村由紀さんは、江戸時代初期の沼津藩主で三枚橋城主の大久保忠佐の生涯を描いた漫画家の「すずき孔さん」の活動を紹介した。
 すずきさんは愛知県出身で、徳川家康に仕えた三河武士をテーマにした作品を手掛けているほか、最新作として今年の大河ドラマの主人公である真田氏を扱った作品『マンガで読む真田三代』を執筆している。

 次回ふるさとづくり塾は17日に開催
 講師3人が研究成果や行事紹介
 「沼津ふるさとづくり塾」の第10回講座は、十七日午後一時半から四時ごろまで市立図書館四階の講座室で開かれる。
 史談会会員でNPO法人東亜天文学会理事でもある渡邉美和さんが「沼津の関係者が作った島田のパラボラアンテナ」と題し、戦時中に海軍が島田市で開発を進めた新兵器と沼津海軍工廠との関わりについて解脱。
 つじ写真館の峯知美さんは、あげつち商店街で取り組まれている「きつねの嫁入り行列」について話す。
 史談会会員の長谷川徹さんは「沼津の商店街ー昭和戦後史」と題して、市内商店街の歴史を映像を交えながら話す。
 定員百人(先着順)。
 受講料は資料代として五百円。
 申し込みは、匂坂(さぎさか)副会長(電話〇九〇の七六八六の八六一二)。または、同会事務局(電話・FAX九二一の一四一二)。
【沼朝平成28年1月13日(水)号】

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