2015年11月14日土曜日

百年後のために 匂坂信吾

百年後のために 匂坂信吾
 沼津郷土史研究談話会(略称・沼津史談会)主催の平成二十七年度・第8回市民公開講座「沼津ふるさとづくり塾」では、講師に国立歴史民俗博物館名誉教授高橋敏先生を迎え、「駿東文園と綴方教師たちー富原義徳と杉山正賢」をテーマに、大正から昭和にかけて駿東郡で始まり、全国的にもまれに見る綴り方教育をめぐる郷土の歴史を学びます。
 駿東郡では富原義徳と杉山正賢という、大正五年に静岡師範を卒業したばかりの二人の小学校教師が、御殿場方面を中心に、熱心に綴り方教育に取り組んでいました。彼らの努力の結果、郡教育会が大正十五年四月、公式に綴方誌「児童文苑」(戦時下に中断七、昭和二十二年「駿東文園」と改題して復刊)を発刊。富原が編集委員長に、杉山が委員になりました。
 富原の弟の薫は地元で小学校教師を務めるかた,わら、「汽車ポッポ」など童謡の作詞をしたことで知られていますが、兄義徳は、児童文苑の成功をもとに昭和三年、「創作鑑賞 土の綴方」を刊行して全国に知られる存在になります。
 富原の活躍の陰で地域の児童に直接がかわり、地道な指導を続けていた杉山は、当時の教育指導者を批判して独自の指導方法を貫き通しました。
 杉山は小学校教師として、児童の理解のために徹底して児童の生活に密着し、教育実践を思想として高めようとして懸命に努力を重ねましたが、昭和四年、病気により退職。沼津で入院・療養を続けましたが、翌年、三十五歳の若さで亡くなります。逝去の臥までペンを持ち最後まで綴り方教育にささげた人生でした。 このころ富原は、病気退職の後、請われて東京の学校に再就職し、綴り方に関する執筆活動などを行うようになり、児童文苑の発行は古見一夫が後任の編集委員長となり継承・発展させました。
 児童が現実の生活を直視して、ありのままを文章化する綴り方指導を通じて、ものの見方、人間としてのあり方を教えようとした彼らの志は、まさに百年後のために人を育てようとする信念に基づくものだったと思います。
 駿東文園は全国で唯一、当時から現在まで継続しています。当初、沼津を含む駿東の若き教師達が目指したものは何だったのか、講座の中で、地域教育の歩みを実感してみませんか?
 講座の日時=十一月二十一日(土)午後一時三十分開会。
 会場=市立図書館四階第一・二講座室。
 定員百人。資料代五百円が必要(会員は無料)。
 なお、会場として同じフロアの視聴覚ホールとして誤ってお知らせした,方面につきまして、同じ日に開催されます芹沢光治良文学講演会の会場と重なり、ご迷惑をおかけしたことをお詫びします。
 (沼津郷土史研究談話会副会長、小諏訪)
【沼朝平成27年11月14日(土)言いたいほうだい】

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