2023年5月9日火曜日

河曲輪(かわくるわ)  沼津の出はなれの松原に添たる川也。 (東街便覧図略)

 




河曲輪(かわくるわ)

 沼津の出はなれの松原に添たる川也。

此辺を駿河の海と云由、順覧記に見ゆ。

 駿河のうみ昇るおしへにおとはまつヾら いましをたのみはゝにたゝしひ つらかれとするかの海のはまつゝら くるよは稀に人そ行レ成 恋しぬとするがの海の浜つゝら くる夜も波の袖ぬらすらん 霧かくれうたふ舟人声はかり するかの海のおきに出にけり

 

 大木

 恋をのみするかの海のはまつゝら ゆふ浪(なみ)かけてほすかたもなし

 

 香貫山(かぬきやま)

 東路記に。此川向を香貫といふ。

 霊山寺とて禅院有。小松内大臣重盛の石塔有。平家都落の後、肥後守貞能、西国より重盛の骨をとりて首にかけ東国に下りしと有。此地にや納めしかと。云々。

 

 鷲津山(わしずやま)

 東路記に。沼津の南に鷲津山とて、通りて高き岩そびへて見ゆる。と云々。

北条五代記巻之第五に云。清水太郎左衛門 奥州より出たる岩手鵜毛(げ)と云駿馬(はやうま)を持たり。尾がみあくまてちゞみ九寸あまりにて強(つよ)馬なり。長久保(ながくぼ)より鷲巣(わしず)の嶺(みね)へは上道五里ほと有(あり)。此馬の心見ん為甲冑(かっちゅう)を帯(たい)し旗(はた)をさし卯の刻に長久保を乗出し、鷲巣(わしず)を目かけむち打て野原を真直に馳(はせ)行有様、たゝ逸物の鷹は重羽の雉(きじ)を見て升がきの羽を飛かごとし。と書けり。

 

『 山王社の前あたりから街道に沿って西へ流れる狩野川は、やがて大きく湾曲し南へ向かい海に注ぐ。その間、三枚橋城の外堀として軍事的役割をもっていたので河曲輪(かわぐるわ)という。川幅は七〇問前後で、山王前や上ケ土には、上香貫に通じる渡船場があったという。

 香貫山は沼津城の南東、狩野川の左岸にある標高一九三㍍の山である。 鷲津山は沼津城の南南東にある標高三九二㍍の山で、『駿河記』には、「太平村の南山高二十町、西は江の浦、獅子浜、志下村なり。林樹蒼欝(うつ)として深山の如く、幽谷高峻にして石巖峠つ。中将岩と云ひ鷲頭明神座す。」とある。

 図の街道は山王社の前辺りで、左が東方である。川は狩野川で、左が上流である。川中の船は漁舟で渡し舟ではないようである。先方が香貫山で、所々に黒く見えるのは岩の露頭であろう。香貫山の左に黒く見える山に「はこね山」と書いてある。左端に「わしづ山」とあるのは何かの誤解で、この辺りからは見えない筈である。』(東街便覧図略)


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