2023年5月6日土曜日

原駅 夕日富士図 (東街便覧図略)

 



 原騨(はらのえき)

 駿州名所志に云。今の原駅、即浮島ケ原也。と。名所方角抄に。

浮島ケ原は富士の南麓なる。仍富士はふせこのなりに見へたり。と云。狗𤡕集上古誹諧に。煙となりてにほふたき物、と云。前にてそねすかた富士とふせことひとつにてとな口しの発句等も見ゆ。関東海道記に。宗紙法師、たち花といふたきものを、馬のはなむけにをくり侍るとて読てつかはしける。

『 この「原」は前図説明の「浮島原」の原の意味である。ここは、鎌倉時代に箱根路が足柄道に代わって発達したのにともない、距離的に短い浦方道が発達し、そこに原の中宿が形成された。それは当時の紀行文等にも見られる事は詞書に見る通りである。近世でも宿駅制度の制定と同時に宿駅に指定されたと考えられている。この宿は街道に沿った典型的な街村の宿で、宿内の往還は二四町四二間であったが、その間に枡形などの障害物の無いのが特徴であった。

 図はその原宿の夕方の街道風景である。遠方の富士山には夕日が当たって朱(あか)く染まり、手前の愛鷹山は日陰になっている。街道は先方が沼津。人影も少なく、街道沿いの茶店では店じまいをしている。街道沿いの家々では、竹を二つに割って、それを叩いて平らにして編んだ竹垣で、風と砂を防いでいる。屋根の棟の草(いちはす)も枯れて黄金色になっている。どうやら猿猴庵の「行はこの宿で泊まったらしい。』(東街便覧図略)

 


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