沼津と不二家 仙石 規
今年創業百十周年を迎える大手食品メーカーの「不二家」。この老舗の名に、沼津市民の方々には様々の思い出が蘇るかと思います。
量販菓子として、「パラソル・チョコレート」「ペンシル・チョコレート」「ホーム・パイ」「ポップ・キャンディ」などの名が記憶から蘇るでしょうが、何といっても愛くるしい「ペコちゃん」が描かれた箱に詰められた「ミルキー」が一番人気でしょう。
昭和三十年代、賑やかだった市内商店街のお菓子屋さんの軒先には、おまけが付けられたミルキーの箱が、ずらりと並んでいて、子ども達はおねだりをしたものでした。
先日、折り込みチラシに「不二家ミルキー発祥の地・沼津市」と書かれた宣伝を見ました。残念ながら、発祥の地は沼津ではありません。しかし、沼津と不二家には、長いつながりがありました。
百十年前に、横浜・元町で洋菓子店として創業した「不二家」は、モダニズムの波に乗って、急成長を遂げ、大正十二年には、銀座に進出して「カフェ・不二家」を開業し、シュークリームなど、西洋の味を日本に広めたのです。
昭和十一年、沼津市に「不二家食品株式会社」を設立し、トマトペーストの生産を始めました。この工場は、沼津大空襲で焼失しましたが、再建され、主に練乳と水飴を生産していました。
初代社長は、戦争で楽しみが何もなくなってしまった日本の子ども達に、栄養ある安い菓子を与えることができないだろうかと沼津工場のボイラーを眺め、研究を始めました。そして、横浜鶴見工場で試行錯誤の末に「ママの味・ミルキー」が誕生し、昭和二十六年に「不二家・銀座店」で発売されました。
名前も当初は「ジヨッキー」でしたが、改名されて名キャラクター「ペコ(東北弁のべコ~牛から発想)」ちゃんと共に戦後の大ヒット商品となりました。
沼津市杉崎町にあった工場が東海地区の生産拠点でしたが、平成二年に裾野工場が開設され、沼津工場は閉鎖されました。
不二家は、洋菓子店と洋食屋も全国展開し、沼津の駅ビル二階にも数年前までレストランがあり、老若男女の客で賑わいを見せていました。昭和五十二年までは仲見世にも菓子店舗があり、アップルパイや苺ケーキを甘党の父は、よく買って来たものです。
十四年前、「賞味期限偽造」などの不祥事で「不二家」は業績が悪化し、大手製パン会社の傘下に入ってしまいました。駅ビルの一階にあった洋菓子店も閉店しましたが、今秋、市内に復活するようで、懐かしの味とペコちゃん人形に再会できることをうれしく感じます。
「偽り」は、長い歴史を持っていても信用を失墜させます。「プライドある沼津」をモットーとする沼津市も、見た市民がほとんどいなかった市役所壁面へのマッピングに千四百万円もの予算をなぜ支出したのかなど、さまざまな疑問に偽りなく説明をするべきでしょう。(郷工史家、市場町)
【沼朝令和2年9月10日(木)言いたいほうだい】
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