高村夫妻顕彰団体が一小を訪問
智恵子の絵画作品に登場の木を見学
詩人で彫刻家の高村光太郎の妻として知られる高村智恵子の足跡をたどって、智恵子の出身地、福島県二本松市の市民団体が17日、一小を訪れた。
画家として活動していた智恵子は、光太郎と婚約した年の1913年、沼津にあった親友宅に滞在し、「樟(くす)」と題する油絵を描いた。これは3点しか現存しない智恵子の作品の1つで、現在は山梨県北杜市の清春白樺美術館に収蔵されている。
二本松市で智恵子・光太郎夫妻の顕彰活動を行っている団体「智恵子のまち夢くらぶ」は、毎年開催している夫妻の足跡をたどる旅の一環として、今年は智恵子ゆかりの沼津を選んだ。
会員13人が山梨県で「樟」の実物を鑑賞した後、絵のモデルとなった木を見るため、一小を訪れた。同校校庭には、江戸時代初期の沼津藩主大久保忠佐の墓である道喜塚(どうきつか)があり、その隣の大木が絵のモデルとなった。
夢くらぶの熊谷健一代表はモデルの木を見学した感想として、「美術館で見た原画は、図録で見るよりもはるかに良かった。モデルの木は大火でも生き残っただけあって、たくましい生命力を感じる。この木を智恵子が描いた意味合いを感じ取れた」と話す。
今年の訪問先として「樟」ゆかりの地を提案した菅野ミチ子さんは、夢くらぶの会員になった理由として、「以前、観光客に智恵子のことを尋ねられたことがあったが、答えられませんでした。地元のことなのに勉強不足だと思い、学ぶために参加しました」と話す。
智恵子の生涯を研究している画家でエッセイストの坂本富江さん(東京都板橋区在住)の著書が今回の旅のきっかけとなった。『スケッチで訪ねる「智恵子抄」の旅高村智恵子52年間の足跡』という題で、2015年に発売された増補改訂版では「蓮のモデル探しの旅が新たに付け加えられた。今回の来訪に案内人として付き添った坂本さんは「本がつないだ縁だと思っています。この機会を通して沼津も知ってもらえて嬉しい」と話している。
【沼朝令和1年6月19日(水)号】
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