2019年6月14日金曜日

秋鹿見橘の足跡(沼津ふるさと講座7月講話)


沼津ふるさと講座
 令和元年度 沼津郷土史研究談話会
 一沼津兵学校開校の年に生まれ、沼津精華学園の基礎をつくった
 秋鹿見橘の足跡
 ◆秋鹿見橘(あいかけんきつ.)明治2(1869)~昭和29年〔1954)
 明治210月、徳川家とともに静岡に移った幕臣・秋鹿見山の長男として、沼津城下の棟割長屋に生まれる。沼津兵学校ゆかりの集成舎(沼津小学校)に学び、江原素六が設立し米山梅吉が学んだ、私立・沼津中学校を経て県立静岡師範学校に進み、同203月、同静岡尋常中学校を卒業。
上京して明治21(1888)4月、高等師範学校文学科に入学。同24年に卒業後、新潟県師範学校、及び各地の師範学校に勤務。285月、宮城県在任中に平沼淑郎第二高等学校教授らとともに、奥羽史学会を設立。江戸時代後期の経世論家で「寛政の三奇人」と言われた元仙台藩士・林子平(桂川甫周などとの交流もあった)の研究などを行う。34年に校長となり、大正5(1916)退職。
その後、高齢の母のために沼津に戻り、大正13(1924)4月、駿東病院院長の佐々木次郎三郎博士のアドバイスで命名した沼津精華女学校を設立し、蓮光寺内に仮校舎を設けて校長に就任。昭和25(1950)12月、学校法人・沼津精華学園を設立し、理事長に就任。
2912月、永眠。享年85a
講師、秋鹿敏雄(学校法人沼津精華学園理事長)
令和元年(2019)713()1330分~ 沼津市立図書館4階 第12講座室

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