2017年1月8日日曜日

第9回「フレッシュ150 沼津ふるさと講座」 山岡鉄舟と静岡 講師 加藤靖雄


第9回「フレッシュ150 沼津ふるさと講座」

山岡鉄舟と静岡

講師 加藤靖雄





161218山岡鉄舟・講師 加藤靖雄 from 河谷杯歩 on Vimeo.

江戸城改築に戸田の石
沼津にも縁ある山岡鉄舟
 沼津郷土史研究談話会(沼津史談会)は先月、郷土史学習講座「沼津ふるさと講座」を市立図書館講座室で開催。約五十人が参加し、戸田史談会の水口淳会長と静岡山岡鉄舟の会の加藤靖雄副会長が講師を務めた。
 史談会ふるさと講座で解説
 次回は15日、沼津病院テーマに
 水口会長は「江戸城再建の夢」と題し、石材を通した戸田地区と江戸城の関係について話した。
 江戸城は、戦国時代の直前に関東地方で活躍した名将、太田道灌(おおた・どうかん)によって築かれた。その約百五十年後、豊臣秀吉の命令によって徳川家康が江戸城に移ったが、その城は道灌時代の建物が残る古びた状態だったという。家康は城下町の整備と合わせて城の改築も行い、孫の三代将軍家光の時代まで続けられた。改築された江戸城の石垣の大半には、伊豆産の石材が使用されているという。
 市内でも、戸田地区や西浦地区に石丁場(いしちょうば)と呼ばれる採石場があり、切り出された石材は船で江戸へと運ばれた。戸田では今も、山中に当時の石丁場跡が多く残されている。
 積み出されずに石丁場跡に残された石にはかつての所有者などを示す刻印が入っているものもあり、現在の江戸城の石垣でも、戸田で見つかった刻印と同じ刻印の入った石を見ることができる。戸田史談会や沼津市教委では、戸田に残された刻印石などについて調査を行っている。
 水口会長は「二〇一五年は家康没後の四百年祭ということで、静岡市や浜松市では様々な観光イベントが行われたが、沼津にも家康とのつながりを示すものが残されている。ぜひとも、市内の歴史資源を見つめ直してほしい」と話した。
 また、一六五七年の「振りそで火事]で焼失したまま再建されていない江戸城天守閣を再建する市民運動が行われていることを紹介し、「江戸城天守の再建は、戸田の歴史的価値の掘り起こしにもつながる」として協力を呼びかけた。
 続いて静岡山岡鉄舟の会の加藤副会長は、山岡鉄舟の逸話について話した。
 山岡鉄舟(一八三六~一八八八)は幕末から明治にかけて活躍した幕臣。戊辰戦争での江戸城無血開城では官軍の西郷隆盛と準備交渉を行い、後には明治天皇の侍従も務めた。
 加藤副会長は、明治になってから鉄舟が白隠禅師への国師号贈与に尽力した逸話に触れて沼津とのゆかりを紹介した後、江戸開城交渉の経緯などを説明した。
 徳川慶喜の指示を受けた鉄舟は、官軍を率いて江戸に進撃中の西郷との単独交渉に臨んだ。交渉の直前に鉄舟は勝海舟と面会しているが、これが両者の初対面だったという。
駿府(静岡市)で行われた交渉での最重要課題は慶喜の処遇。慶喜身柄の他藩預かりを主張する西郷に対して、鉄舟は「(西郷が仕える)島津公が同じ境遇になったら、あなたはどう思うか」と反論して西郷を説き伏せ、寛大な処分を勝ち取った。
 江戸に帰る鉄舟を見送った西郷は「虎穴に入って虎児を得たのは本望でしょう」との言葉を鉄舟に掛け、その活躍を称賛したという。
 加藤副会長によると、鉄舟は原理原則を重視し、常に言動を一致させる人柄であった。また、交渉では相手に対する誠実さを尊重したという。「鉄舟の人となりや交渉術には学ぶことが多い。現代に通じるものもある」と話した。
 ◇
 史談会による次回の沼津ふるさと塾は十五日午後一時半から市立図書館四階の講座室で。
 順天堂大学特任教授の酒井シヅ氏が「杉田玄端とその時代」と題し、明治初年に存在した沼津病院について話す。
 予約不要、参加無量。

【沼朝平成2918()号】



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