2016年5月1日日曜日

ナゾのマチ沼津 渡邉美和

 ナゾのマチ沼津 渡邉美和
帰り新参である。長く沼津を離れ、三年前に戻ってきた。あらためて気が付くことも多い。以前、沼津に住んでいた時には当たり前だったことが、再発見とナゾの連続に変わるのだ。
たとえば、市街地の道路。この規模の市にしては、道幅も広い。安心して歩くことのできる広い歩道もかなり完備されている。もちろん、一歩市街地から外れれば、道路行政に対する不満は、まだまだ多い。でも、三叉路は少なく、道はほぼ東西南北に走り、まっすぐである。
郊外型ショッビングモールに押され気味の商店街だが、アーケード名店街のマチも、改めて見ると建築当時のモダンさが感じられる。どうしてこのような様式を取り入れることができたのだろうか。
ナゾはつきない。帰り新参の目からは、かつての三枚橋城(後に沼津城)は、決して攻防に秀でた施設ではないように見える。そもそも狩野川の水害を受けやすい比較的平らな土地である。そこに単なる砦ではなく、石垣を備えた本格的な城として三枚橋城が築かれたのだ。なぜ?後の沼津城は、城地の脇を東海道が通るという、本来の城の機能を完全に放棄している。
そして、その城跡はどこに行ってしまったのだ。
明治維新により、沼津は城という軍事施設との関連をすっぱりと断ち切ってしまったように見える。その代わりに人材育成に励むことになる。もともと甲斐の武田氏が築いた城は、築城後へ数百年を経て、「人な石垣、人は城」という武田氏本来の形を復活させたようにも思える。
沼津兵学校、その附属施設での日本で初の小学校教育、さらに近代的な沼津病院(後の駿東病院)などが明治維新後に立て続けに沼津に設置されたことにも合点がいく。沼津は城でなく、人を育成することで近代への貢献の道を選んだのだろう。
軍事施設と縁を切れば、道はまっすぐな方がよほど便利である。そして、それが商業の近代化も促進させたのではないだろうか。
来たる五月八日(日)午後一時半から市立図書館四階、第一・二講座室で第2回「沼津ふるさと講座」が開催される。今・回の講師は、本会会員で上本通り商店街理事の長谷川徹氏。同氏の豊富な沼津のマチに関する情報による、「ナゾ解き」が楽しみである。同氏を支えるスタッフも多く参加される。講座の後、沼津の歴史を探訪する「沼津街中ウオッチング」と併せて楽しみたい。
なお、「街中ウオッチング」では、会員以外は資料代五百円とスポーツ保険料百円が必要。申し込みと問い合わせは、沼津郷土史研究談話会(略称・沼津史談会)研修部長の上柳晴美(電話〇九〇の一四一八の○四三五)まで。
(沼津郷土史研究談話会会員、南本郷町)
【沼朝平成28年5月1日(日)言いたいほうだい】

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