新幹線開通と停車駅など
ふるさと塾 長谷川徹氏が解説
一方、ふるさとづくり塾では、史談会会員の発表として、上本通り商店街理事の長谷川徹氏が「沼津の商店街-戦後昭和史3」と題し、昭和三十年代以降の市街地の歩みについて話した。
その中で長谷川氏は、新幹線の開通と停車駅の問題について取り上げ、当時の国鉄は当初から沼津市街地を新幹線のコースから外していて、そこに沼津市や市民の意向は反映されておらず、市民や各種団体の反対のせいで沼津に新幹線駅が出来なかったという主張は誤りである、と強調した。
当時の報道を調べた長谷川氏によると、昭和三十三年に新幹線の路線計画が報道され、そこでは沼津を避けたルートになるとされていた。
三十五年二月に新幹線の建設予定ルートが国鉄から行政関係者に示されると、そこには沼津近辺のルートについて『石田北側-西熊堂―椎路北側―鳥谷ー青野ー井出・と説明がなされたとの報道があった、という。
その後、三十九年に東京ー新大阪間が開業し沼津近辺は当初の説明通りのルートとなった。この時、新幹線の三島駅は存在しておらず、後に費用を地元が負担する形で建設され、四十四年に開業している。
長谷川氏はこのほか、昭和四十年に開業した、現在の仲見世商店街と新仲見世商店街の間の旧国道一号の下にあった地下街「味のちか道名店街」についても話した。
【沼朝平成28年4月3日(日)号】
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