2020年8月20日木曜日
文化財センターの展示室紹介vol 1
愛鷹山麓に人々が住み始める
旧石器時代は時によっては今より5~6度も気温が低い氷河期にあたり、極地方周辺での氷床や氷河の発達によって、海水面は現在より100メートル以上も低くなったことがあったという。日本列島と大陸は「陸橋」で結ばれた状態となり、ここを通ってやってきたナウマン象やオオツノ鹿などを追って人類が移り住むようになった。その年代は中期旧石器時代の後半~後期旧石器時代の初め(約5万年前~3万数千年前)と言われている。
中期旧石器時代の人類の痕跡はきわめて断片的なものにすぎないが、後期旧石器時代初めには列島全域に活動の場所を広げていくようになる。愛鷹山麓には西大曲遺跡・西洞遺跡・中見代第1遺跡など、この時代の遺跡が数多く残されている。これらの遺跡には遠く信州や神津島産の黒曜石がもたらされていて、その活動や交易の範囲が予想以上に広範囲に及んでいたことが明らかになった。
後期旧石器時代は約1万3千年前まで続くが、その間にナイフ形石器、石槍、細石器など、環境や動物相の変化にあわせて石器の形や種類も工夫されていった。細石器は旧石器時代の終わり頃に出現し、薄くしかも細かく剥ぎ取られた石片が、木や骨の軸に埋め込まれて用いられた。国指定史跡である休場遺跡からは、この細石器が大量に出土し、付近からは石囲炉が発見されている。縄文時代を間近にしたこの時代に、石器製作技術が一段と進歩し、火の利用が本格化したしていたことが窺える。
愛鷹山麓出土旧石器
•
休場遺跡出土細石器(加藤学園)
•
休場遺跡石囲炉(明治大学)
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿