武田勝頼の朱印状発見 愛知
駿河からの兵糧流出禁止
1575(天正3)年の「長篠の戦い」の後、遠江国への進攻を強める徳川家康との攻防が続いていた武田勝頼が、駿河国興国寺城代の曽根昌世に宛てた朱印状がこのほど、愛知県刈谷市内で見つかった。同市歴史博物館は「武田氏の駿河支配の様子が分かる貴重な資料」としている。
朱印状は縦約30㌢、横約60㌢。1577年6月7日付で、「駿河国から他国へ籾(もみ)などを送ることを停止する。背く者がいれば処罰する」といった趣旨の指示が書かれている。同館は「武田氏が、駿河国の兵糧が徳川軍に流れていると思ったのではないか」と推測する。
同館は文言や朱印などから本物と断定した。学芸員の五十嵐正也さんは「これまでに写しなども見つかっていない新資料。曽根昌世宛ての資料は極めて貴重で、今後の研究に生かすことができる」と話す。
江戸時代に旧刈谷藩士だった旧家の資料の中から発見された。このほかに豊臣秀吉が加藤清正に朝鮮出兵を命じた朱印状も見つかっている。
(文化生活部・鈴木明芽)
【静新平成31年4月13日(土)朝刊】
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