2014年8月24日日曜日

岳陽少年団:沼津史談会第5回沼津ふるさとづくり塾

沼津が誇る教育の先進性
岳陽少年団講演 湯川早大教授が指摘

 沼津史談会(菅沼基臣会長)は十六日、第5回沼津ふるさとづくり塾を開いた。早稲田大教授の湯川次義氏が「近代沼津の教育-岳陽少年団の成立と展開」と題して話した。
 兵学校以来、国内有数の特色
 背景に豊かな伝統、文化、自然
 岳陽少年団は、大正初期に沼津で結成された教育団体で、学校外で行われる社会教育を担った。最盛期の一九四〇年ごろには下部団体七一、団員三万人を数え、これらには東京、埼玉など関東の団体も含まれている。翌年解散し、国策により誕生した沼津市青少年団に改編された。
 活動内容としては、木太刀を用いた武道や手旗信号の訓練、野営などがあり、赤穂浪士や陸軍大将乃木希典を顕彰する「義士祭」や「乃木祭」などの行事を行った。
 湯川氏は、郷土史研究家の辻真澄氏の著書を引用しながら、岳陽少年団の性質について、皇室崇敬、武道重視、学校中心の三点を挙げた。
 このうち「学校中心」というのは、学校ごとに分団が設置され、学校として木太刀の訓練などを行ったことをいう。皇室や武道を重視したことについて湯川氏は、初期指導者が高級軍人や士族などの出身だったことを理由に挙げた。
 しかし、こうした特徴は、他の少年団との対立を生むことにもなった。
 岳陽少年団も加盟していた少年団日本連盟がイギリス式ボーイスカウトの訓練法導入を加盟団体に求めると、岳陽少年団はこれに反発して連盟を脱退。この脱退は他の加盟団体にも大きな影響を与えたという。
 一九三一年の満州事変以降、国内の国家主義的傾向が強まると、文部省や軍部は非ボーイスカウト系団体の結集を進めて帝国少年団協会を設立。当初は独自路線を歩んでいた岳陽少年団もこれに加入した。
 四〇年には、ドイツの少年団組織「ヒトラーユーゲント」の沼津来訪に合わせて交流行事を開いている。
 岳陽少年団のあらましについて説明した湯川氏は、同少年団の歴史的意味合いについて、「沼津は沼津兵学校以来、国内でも有数の特色ある教育が行われてきた地域であり、岳陽少年団など全国的にも注目される数多くの教育活動が行われてきた。この背景には、沼津地域が持つ豊かな伝統、文化、自然などがあり、そこに育った先覚者や地域住民のより良い教育を実現しようとする精神や意欲によって営まれてきた。これは沼津市民が誇るべきこと」と解説した。また、岳陽少年団がその後の地域に与えた影響の大きさも指摘し講演を終えた。
 次回は919日、宮本常一取り上げ
 なお、史談会による第6回「沼津ふるさとづくり塾」は九月十九日午後六時半から市立図書館四階の視聴覚ホールで開かれる。岩崎敦史(世間士かるの)さんが「宮本常一ーその眼差しと足跡を追って」と題して話す。参加には資料代五百円が必要。
 申し込みは、同会の匂坂信吾(さぎさか・しんこ)副会長(電話〇九〇ー七六八六-八六一二)へ。

(沼朝平成26824日号)

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