2023年9月16日土曜日

「改革いまむかし」 匂坂信吾 【沼朝令和5年9月16日(土)寄稿文】

 

「改革いまむかし」 匂坂信吾



 八月下旬、沼津市役所の若手職員二十八人による行政改革への取り組みが始まったことを新聞で知りました。そこで幕末に徳川家の静岡移封が決まって沼津藩の転封が確実となり、同藩が抜本的な藩政改革に踏み切った状況を見直しました。

 国立歴史民俗博物館の樋口雄彦教授著『沼津藩』によれば、若手藩士の田辺貞吉、手島(旧姓田辺)精一兄弟など四十四人が改革チームのメンバーだったようです。

 藩を挙げて背水の陣として取り組んだ改革は上総国菊間(現在の千葉県市原市)への転封という形で実を結び、明治四年(一八七一)七゜月の廃藩置県まで菊間藩として存続し、更なる改革や藩士教育に努めました。

 田辺は教育界から転じて住友財閥の本店支配人、手島は東京工業大学につながる我が国工業教育の先駆者でした。

 空き家となった沼津城内には、若き日の江原素六らにより当時の最先端教育機関「沼津兵学校」が設立され、校舎には大手町の城岡神社南西側にあった広大な二の丸御殿が充てられました。本丸跡の現・中央公園内には兵学校の寄宿寮が作られ、先行き不安な日々の中で多くの生徒が勉学や暮らしを共にしたとのことです。

 私達、沼津郷土史研究談話会(略称・沼津史談会)は、中央公園の名称を「沼津城趾公園」などに改め、史跡紹介を行う案内設備等の拡充ができれば、市民や沼津ゆかりの人達の歴史と文化への認識が深まり、"ふるさと沼津"への愛着心が増すとともに、対外的な情報発信力が大きく向上することは確実だと考えています。

 本会は三月十八日、市内の五ライオンズクラブと共に「地域文化事業」の集いを実施し、中央公園の名称変更案を参加者や市民に向けて提案しました。

 一方では沼津藩・水野家の足跡を学び直して、公園名の重要性を多くの人が実感できるよう、市民公開講座「歴史と文化のまちづくり塾」を開催中です。その成果を踏まえ、来年には名称変更に関する具体的な提案を沼津市宛てに行う計画です。

 市が進める行政改革が実を結び、地域の発展に結び付くことを期待します。 来たる九月二十四日()午後一時三十分から、市立図書館四階第一・二講座室で開催する「まちづくり塾」では、清泉女子大学の福留真紀准教授が学生時代から、いずれは分析したいと思い続けてきた初代沼津藩主の水野忠友について語ります。

 講座終了後には、本会の長谷川徹副会長により、元会員の川口和子さん(故人、生前は眼科医師)が描いた町並みマップの画像研究と旧沼津城周辺の街歩きを行います。

 会員以外の参加者は資料代五百円が必要ですが、ご協力ください。

 なお会誌『沼津史談』第七十四号の市制百周年記念特集で、川口さん作による「思い出のふるさと沼津の町並み」の復刻版は"わが家の記念品"として大好評をいただいております。

 マップ付きの特別価格千円(税込み)で、上本通りラピュタービル向かい、柳屋内の本会「よろず相談所」及び、北高島町フェスタノジマ一階「マルサン書店駅北店」で入手可能です。(沼津史談会会長、小諏訪)

【沼朝令和5916日(土)寄稿文】


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