2017年11月21日火曜日
三の丸緑地堀の井戸と思われる古井戸調査
山田義一氏情報による井戸、三の丸緑地堀の井戸か?
各位
山田義一氏の情報により、井戸探索。
場所は細沢工務店より西へ綿安方面の
元伝法産業(現在コインp)西の床屋さん屋敷内の東南角。
沼津城絵図にも、井戸が記入されている。
重図では東西は少しずれるが、南北はあう。
この井戸がそれなら、少なくても、
北の外堀の位置は我々が描いている場所であることが正しいと思われる。
写真を添付で送ります。
以上
長谷川徹
発信元 史談会 南本郷町 渡邉美和 20171120
今朝、上本通り長谷川徹氏から電話を頂きました。
大手町のNTT前の通りの葉山コーヒーの西側で現在工事をしているところから、井戸がみつかったとのことで確認にいった方がいいよ、と言われました。
今日の午後、奈良部さんをお誘いして、いってきました(今井さまにも電話したのですが、繋がらず、今日は断念)。
直径70センチほど水面までの深さ1メートル余の丸い掘り抜き井戸がありました。水面付近には石がありましたが、何時の時点からの石か不明。ただ、それほど苔むした感じはないので最近いれらたものか。コンパネの下になっていたようで、先日、日枝神社にお願いし、井戸を閉じるお祓いをしていただいたとのこと。素掘りで壁面は石組などされていません。何からの鑓のようなもので地表面と平行に掘ったときの掻いたような跡のようなものが土面に見えました。奈良部さんはこの土は道路側でユンボで基礎の鉄筋コンクリートなどを掘り起している部分の土とは色が異なる黒マサ土と見ました。道路側は1~1.5メートルほどほられていて、最も浅い部分は赤い土で、おそらくコンクリート基礎を造った時のどこからか運んできて埋めた土でここにもともとあつたものではなさそう。
基礎は70cmほどあり、パイルを打たないかわりに頑丈なコンクリ吉舎としたものとのこと。基礎の下は柔い黒い土で腐葉土らしい。石炭がらは見ていない。中に瀬戸物の破片などがあり、この辺の土やらなにやらを埋めたものか。水分も多い。
縦横高さとも50cmくらいの赤い土まみれの石が現場にあり、訊ねたところ、道路際のコンクリ基礎の下にあったものとのこと。奈良部氏は安山岩と見ているが、なんとなく形や大きさはは石積みの石のような感じも。土にまみれているので、明日、水やたわしを以っていって洗って表面を見てみたい。現場ではこの2.3日で工事は終わるとのことで、ラストチャンス。なお、井戸のコンパネの下に敷いてあったと見られるべにや板もボロボロになっていはいたが残っていた。
ということで、21日午後13時半に現地で石を水による土汚れ落としします。石の質や何か手かがりがないか確かめたい。関心のある方は現地においでください。
ただ、あまり大人数は?場所が分からない方は渡邉までおといあわせください。
もと伝法産業の西隣の工事現場の井戸。渡辺さんと見てきました。
道路側の元の建築物は鉄骨にブロック壁で、直接基礎(地中梁)である。作業員によると杭はないとのことである。客土は1m程度の厚さで粘性のある赤土や、陶器片を含んだ黒土である。基礎底面はおそらく地山であろう。あす、地中梁を撤去したとき、うまくタイミングが合えば見えるかも。
奥の方の元の建物は木造であった。基礎はすでにあらかた砕石で埋められている。当該の井戸はこの木造部の東南角付近にあって、南および東の隣地との境界から1m程度離れている。直径は7、80㎝くらい。穴は地山がそのまま見えている。中に苔なしの石が入っていて、透明な水が20㎝くらい溜まっている。地山は締まった黒いマサ土と思われる。
岩石は、元の伝法産業との境界あたりから出たという。客土の赤土にまみれているが、わずかに割れた部分から見ると、自然石で、安山岩であろうと思われる。
この土地は均して駐車場にするとのことで、基礎を破壊撤去しながら砕石でどんどん埋めているので、見られるのはあすくらいまでか。
添付写真をごらんください
平成29年11月21日(火)午後1時30分
渡邉美和・奈良部通彦・長谷川徹 三の丸緑地堀の井戸調査
井戸の巾 東西70㌢ 南北70㌢ 丸形
深さ 水面まで1メートル 沈石まで1メートル30センチ
位置
南境界線から120センチ 東境界線から250センチ
表歩道より20メートル
(写真参照)
石
玄武岩は、苦鉄質火山岩の一種。深成岩の斑れい岩に対応する。
火成岩は全岩化学組成(特にSiO2の重量%)で分類され、そのうち玄武岩はSiO2が45 - 52%で斑状組織を有するもの。斑晶は肉眼で見えないほど小さい場合もある。肉眼での色は黒っぽいことが多いが、ものによっては灰色に見えることもあり、また含まれる鉄分の酸化によって赤 - 紫色のこともある。 高さ50センチ 横50センチ 奥行40センチ
削り跡あり(写真参照)
歩道よりの1メートル地下の土地から大火残土と思われる。土、木片・陶器等採取できた。
古井戸の方は長谷川徹さん、渡辺義和さんからすでに報告がありますので省略。
謎の岩石は、夕方、通りがけに見ましたら、西隣の空き地の歩道寄りのところに移動してくれていました。
玄武岩だとすると、御殿場泥流によって流されて来たか、人為的に採石したか。地表に近いところにポツンと埋まっていたことが気になる。岩石のサンプルは原岩を欠いて採取しました。目視で玄武岩と認定。灰黒色。斑晶はほとんどない。細かい気泡がある。全体にとげとげしさはなく、かといって川原石のように丸みを帯びてはいない。表面はなめらか。加工したものか。
炭化土は、炭化した木片や陶器片を含み、墨のような色。握って団子を作れる。水をかけると容易にばらける。長谷川、渡辺両氏によると、大正2年の大火のときの焼けた塵芥ではないかとの見解。サンプルは採取しました。添付写真をごらんください。
こんどのことでわかったこと。外堀通りの南側の家並は土塁の法面にかかっている部分がいくらかあるとしても、大部分は地山の上に建てられていると考えられます。
奈良部 通彦
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