2015年3月30日月曜日

沼津兵学校とその時代:樋口雄彦教授講演

沼津兵学校とその時代
 樋口雄彦(国立歴史民俗博物館)
 2015214日沼津市明治史料館
 1武士の時代 ラスト・サムライ
 2地方の時代 東京一極集中が始まる前
 3立身出世の時代 身分上昇、立志'
 4学校の時代 教育の効能
 5英語の時代 国際化
 6科学技術の時代 職人軽視の態度から、趣味の世界から
 7資本主義創生の時代 商人軽視の姿勢から、欲望の解放
 8民主化の時代 新聞の発生、公議公論の流行
 9国民形成の時代 ナショナリズム

 10天皇制/軍国主義/帝国主義の時代



東京一極集中前の最後飾った沼津
 樋口雄彦氏 沼津兵学校とその時代語る
 明治史料館開館三十周年記念の歴史講演会が、このほど同史料館講座室で開かれ、-約百人が聴講した。
 同史料館学芸員出身で国立歴史民俗博物館教授の樋口雄彦氏が「沼津兵学校とその時代」と題して話した。
 樋口氏は、兵学校が存在したのは三年半という短期間だったが、この時期こそ新旧の時代の境目となったとして、その特色をテーマごとに分けて解説した。
 旧時代を象徴するものとしては、「武士の時代」「地方の時代」の二点を挙げた。兵学校の生徒は洋服を着ていたが、皆が刀を差していた。一方で革新的な教師が刀を外しそれが学校中の話題となった。また、当時は各地に藩が残っていて、行政や経済が藩単位で動いていた。沼津の地に東京よりもレベルの高い学校を設立して全国から生徒を集めることができる、東京一極集中が始まる前の最後の時代だった。
 続いて、樋口氏は兵学校が象徴するものとして「立身出世の時代」「学校の時代」を挙げた。江原素木の部下として兵学校の事務管理をしていた高藤三郎という人物は、戸田勝呂家出身で、武士の生まれではなかったが、幕府御家人の養子となり、幕府内で出世し、最終的には新政府の大蔵官僚となった。幕未以降、家柄でなく才能が評価される時代が始まっていた。
 ぞして、身分制社会に代わって登場したのが学歴社会で、樋口氏は兵学校生徒の手紙を取り上げ、就職を急いで下級役人になるよりも学校で知識を蓄えて出世の機会を狙った方が良い、という考え方が登場していたことを紹介した。明治以降、社会構造が大きく変革し、兵学校もその影響を受けた。樋口氏は、これを「科学技術の時代」、「資本主義創生の時代」「民主化の時代」と名付けて解説。
 近代兵器の運用には科学的知識が必要であるから兵学校では理工系教育も行われ、生徒達は伝統的な戦士である「武士」から近代的な「軍人」への脱皮が図られたこと、兵学校運営資金を得るために江原出系六らは「沼津商社会所」を設立して金融や運輸のビジネスに乗り出したこと、兵学校を設立した静岡藩は藩士に対して不満や意見の表明を受け付けるという通達を出したことなどを話した。
 最後に、兵学校と近代日本のつながりとして「天皇制・軍国主義・帝国主義の時代」というデーマを設けた。教育勅-語の内容に賛意を示しつつも変更不可の絶対的なものではないという見方をした江原素六が非難を受けた事件や、、朝鮮半島の地理に精通していた兵学校卒業生が日清戦争で活躍した例に触れた樋□氏は、兵学校は明治以降の近代日本の発展に貢献しただけでなく、昭和以降の敗戦への道とも決して無縁ではないことを強調して講演を終えた。

(沼朝平成27年3月31日)

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