2012年9月20日木曜日

沼津周辺の貴重な文化財(二)小野眞一


 沼津周辺の貴重な文化財()小野眞一
「土偶・顔面把手と千居遺跡」
 前回記述の旧石器時代に続くのが新石器時代で、日本では縄目紋様に象徴される縄文時代と、金石併用の弥生時代が相当する。その縄文時代は、打製石器に磨製石器が加わり、土器や土製品が主要な生活用具として使用された時代である。
 特に土器の形態や紋様の変遷に応じて草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の六時期に分けられているが、その早期以後の特殊な土製品として土偶が出現し、また中期以後には土器に付加された把手(とって)に人面または獣面を表した顔面把手も出現する。
 土偶は人物、または動物をかたどった土製品であり、玩具あるいは呪術的な偶像として作製したことが偲ばれる。そして、呪術的意義を持つものには特に女性像が多く、乳房や臀部(でんぶ)を誇張した裸像があって、生産の神としての地母神崇拝を表すものと解釈されている。
 時期的に見れば、福島、茨城、千葉の各県から早期のものが出土しているが、現在は僅か八個で、前期のものは二十二個あり、東日本に比較的多い。中期になると、長野の一九二個をはじめ、愛知以北で三三六個の出土例があり、東日本が圧倒的で、西日本では後期と晩期のものが若干見られるに過ぎない。
 静岡県では、中期のものが伊豆の国市田京の公蔵免(こうぞうめん)遺跡、三島市壱町田の千枚原遺跡、沼津市北小林の芹沢遺跡、富士宮市上野の千居(せんご)遺跡、また後期のものが三島市北上の反畑(そらばたけ)遺跡、富士宮市杉田の滝ノ上遺跡、同市野中の滝戸遺跡、浜松市の蜆塚(しじみつか)遺跡、さらに晩期のものが旧清水市の天王山遺跡、旧中川根町の上長尾遺跡から発見されている。しかし、これらの出土品に完形品は少なく、頭部、胸部、臀部、脚部の残存品が多い。


 写真=左=に見る滝ノ上遺跡のものは、完形で、富士山西麓の湧水地近くにある滝不動の祠(ほこら)付近の地下約二㍍の所で百数十年前に出土した三個の中の一つで、近隣の安養寺に保存されているものである。高さは一六・五㌢の女性像で、胸部に乳房を大きく表し、腰部には細い布を巻きつた如く縄文帯を付し、両手画脚を開いている。
 次に顔面把手であるが、これは写頁=下=で示したように沼津市柳沢の大廓遺跡より好例が見られ、加藤学園考古学研究所に保存されている。深鉢型土器の口縁近くに施された装飾的把手で、二段にわたって大きく凹んだ溝の一部を埋める如く設けられ、縦長で一一㌢、上部の顔面は楕円形に深く彫り込まれた二つの目、横に伸びる大きな三日月形の口が特徴で、獣面を表している感じがする。縄文中期のもの。
 他に三島市徳倉の城山遺跡から出た筆者採集のもの(日大三島高所蔵)や、大島淑嗣氏採集の三島市千枚原遺跡出土のもの(獣面)がある。また、後期初頭のものとして伊豆市の上白岩遺跡からも発見されている。これらは主として中期の勝坂式土器に伴うものが多い。
 なお、中期には前記した国指定史跡の富士宮市千居遺跡があり、富士山に対しての大配石遺構はまさに富士山信仰の原始的姿を示すものとして貴重である。
 (元常葉短大教授・元加藤学園考古学研究所所長、富士市境)
《沼朝平成24920()号》

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