2012年1月25日水曜日

高尾山古墳保存の成否に節目


高尾山古墳保存の成否に節目
年度末に調査結果の報告書
 都市計画道路予定地上に位置
 希少な前方後方墳の先行き不透明
 東熊堂の高尾山穂見神社・熊野神社境内跡地で発見され、平成二十年に前方後方墳であることが判明した高尾山古墳(旧称・辻畑古墳)。東日本で最古級とされる同古墳の保存の成否を巡る動きが今年一つの節目を迎える。我が国最古との見方もあるだけに、保存を望む声は少なくないが、先行きは不透明だ。
 同古墳は、都市計画道路沼津南一色線の建設ルート上にある同神社が移転した際の跡地調査で見つかった。同神社境内については、以前から古墳の存在が指摘されていたが、発掘調査は、この時が初めて。
 試掘が十七年度に始まり、二十年度に本格調査が開始され、出土した土器の形状から、三世紀前半に築造されたと考えられている。三世紀前半は、邪馬台国の女王卑弥呼(ひみこ)の時代。
 学術的希少性だけでなく、全国的に報道され知名度もある同古墳だが、道路の建設予定地上にあることは変わりなく、古墳保存か道路建設続行かの判断が求められる。
 沼津南一色線は、国道二四六号と国道一号(江原交差点)を結ぶもので、市道路建設課によると、現在は古墳一帯の土地を含む新幹線以南から国道一号以北の区間は工事を停止している。
 工事続行の可否をめぐっては、二十一年に市議会で栗原裕康市長が、「広く市民の意見を聴いていきたい」と答弁。また、村上益男教育次長(当時)は、調査結果が出るのを待ち、その後のことを決めていくという方針を説明した。
 この調査結果が出るのが現年度末。市教委では現在、三月末に向けて報告害を作成している。
 市教委文化財センターによると、この報告書に対する学界の関心は高く、研究者から問い合わせが来ることもあるという。また、市教委では、市民の関心にこたえるため、出土品の公開や、関連講演会の開催を計画している。
 しかし、それ以外に報告書完成後の日程や意思決定の手順については未定となっている。市計画課によると、都市計画の変更は県が決定権を持ち、国の同意が必要だという。このため、現状では沼津市だけの判断ですべてを決めることはできない。
 高尾山古墳は今後どうなるか。
 関係者の一人は、他地域での遺跡保存問題を挙げ、住民による署名集めなどの保存要望活動が行政による判断へ影響を与える例が多い点を指摘する。
 また別の関係者は、都市計画道路が同古墳一帯を通ることが決まったのが昭和三十六年であることに触れ、市教委による調査がもっと早ければルート変更などに柔軟性が出たのでは、と残念がる。
 市道路建設課によると、沼津南一色線は工事予定地の取得を九九%終えている。仮に古墳保存のため同路線のルートが変更になった場合、建設費用の増加は確実となる。
 解説 高尾山古墳については「確実なところで東日本最古級」とされるが、前方後方墳という形状は珍しく、卑弥呼の墓とも言われる箸墓古墳(奈良県桜井市)より古いとの見方があり、「我が国最古級」の説もあるほど。
 一方、足高の沼津工業団地一画には、同団地敷地一帯の清水柳北遺跡から出土した上円下方墳が移築復元されている。
 こちらは古墳時代終末、八世紀初めの奈良時代のものと推定され、この形状も全国的に希少。
 沼津には、古墳時代の幕開けを飾った前方後方墳と、終焉を告げる時代の上円下方墳が揃っていることになるが、千八百年という、人知の及ぶところではない時を刻んだ最古級の古墳が今、消えてなくなるかもしれない瀬戸際を迎えている。
(沼朝平成24年1月25日号)

0 件のコメント:

コメントを投稿