2019年12月25日水曜日

戦前の中ノ島水族館と淡島水族館解説動画





 
 絵葉書に残された幻の淡島(あわしま)水族館
 内浦地域には、昭和前期に二つの水族館が開設されました。内浦長浜の二又(ふたまた)の網戸(あんど)の東側の入江を網で塞(ふさ)いだ中(なか)ノ島(しま)水族館(昭和5年開館)と内浦重寺の島合(しまあい)の網戸に設置された淡島水族館です。
 長浜の中ノ島水族館は、後に三津天然水族館、そして伊豆三津シーパラダイスと受け継がれて現在に至っています。それとは対照的に淡島水族館は、わずか3年ほどで営業を終えています。このため、資料がほとんどなく、幻の水族館となってしまいました。この度、その姿が絵葉書に残されているのが発見されました。
 右下に示した明治史料館で保管する戦前期の内浦村全図では、淡島ではなく、その対岸の重寺字島合に位置していたことが分かります。(同じく長浜字二又に中ノ島水族館も記されています。)
 重寺と小海の境は、岩山の小さな岬で、小海ではゲンキョサンノ轟、重寺では鵜(う)ヶ崎と呼ばれていました。ここからは 建切(たちきリ)網漁が盛んな頃には淡島の瀬石(せいし)に向けて塞ぎ網が設置されていました。また、淡島の獅子(しし)岩に向かって岩礁が海中に延びているのが見えます。
 写真からは今では埋め立てられていますが、旧道に添って塀が設けられ、海中に張り出して建物が建てられているのが分かります。海は網で塞がれており、魚類が飼育されているようです。もう一枚の絵葉書には右端の建物から網囲中のメジを竿で釣る様子が写されています。
 文部省の資料によれば、昭和10年8月開館、管理者は小松霍(鶴)吉、収容水族は海洋魚類約2000、職員数6、昭和11年の利用者10,500人でした。昭和14年には既に閉館しています。 



 内浦長浜の中ノ島水族館は、山本三朗さんの『三津の覚書』によれば、昭和5年に大村和吉郎、小松鶴吉の両氏により開館、日本で三番目の水族館であったという。
 当初は本館と入り江を網で仕切った天然の生け簀だけで、昭和5年には世界で初めてイルカの飼育に成功、昭和9年には5mに及ぶジンベイザメの飼育、昭和10年にはミンククジラの飼育にも成功した。
 昭和11年には人手に渡り、昭和16年3月からは伊豆箱根鉄道の経営となり、昭和32年に三津天然水族館と改称した。現在の伊豆三津シーパラダイスの前身である。
 下の写真は生け簀内を遊泳する「えびすざめ」の合成写真で、記念スタンプにもなっている。渋沢敬三の『日本魚名集覧』には、伊豆内浦ではジンベイサメをえびすざめと呼んでいることが載せられている。同書には、「昭和八年伊豆三津水族館に生獲されしことあり。実見」と記されており、敬三自身がここで、このサメを見たことがあった。
 三津と長浜境の尾根を貫通する旧不二見トンネルが開通したのは大正6年のことであり、二又への道路は既に整備されていた。その尾根上に岡部長景が別荘を購入したのは、水族館の開館の前年、昭和4年のことである。
(「沼津市歴史民俗資料館だより」2019・9.25発行VoI.44No.2(通巻223号)

0 件のコメント:

コメントを投稿