2012年7月27日金曜日

沼津「御成橋」あす開通100年

戦前のにぎわい刻み、戦火くぐる 沼津「御成橋」あす開通100年  「町の宝」市民感慨
 沼津市中心部を流れる狩野川に架かる御成橋。県東部初の鉄橋として、明治時代に完成した。名称は、皇族が沼津御用邸(現沼津御用邸記念公園)に向かわれる際、通り道になったことに由来する。市民が誇りにする橋は28日、開通100年を迎える。  御成橋は、前身の港橋(木製)を改築し明治45年(1912年)7月28日に竣工した。当時としては珍しい3連アーチ式だった。交通量の増加や河川改修に伴い、1937年に当時の約35万円を投じて架け替えた。  2代目は今も現役で、全長130㍍。幅9㍍の車道と両側に歩道がある。アーチ型は初代から引き継いだ。  御成橋の西側に位置する上土商店街。ここで生まれ育った市川久枝さん(86)、中山文江さん(86)、前山文子さん(87)の同級生は、橋の歴史を知る数少ない人たちだ。  商店街は戦前、料亭などが軒を連ねにぎやかだったという。生家のわさび漬け専門店を営む中山さんは「皇族のおつきの方がよく買いに来られた」と懐かしむ。  アーチを支える鉄柱には所々、へこみがみられる。市明治史料館によると、死傷者53人を出した45年4月の米軍の空襲でできた跡。爆撃は8月まで続いた。前山さんは「御成橋を渡って対岸に逃げた。街は焼け野原になったが、御成橋だけは残った」。 御成橋は、58年の狩野川台風も耐え抜いた。現在、橋の上は日中、車が激しく行き交う。夜には青い光が、宵闇にアーチを浮かび上がらせる。夜景を眺めながら散策する人も多い。 「華やかな時代も悲惨な時代も私たちを見守ってくれた。御成橋は沼津の宝だと、つくづく思う」。老舗時計店の店頭に立つ市川さんは感慨深げに話した。 〈 メモ〉港橋は朋治33年ごろまで民間人が管理し、橋を渡る際は賃料が取られていた。初代御成橋は市史などで長年、「大正2年の沼津大火で港橋が焼失し架け替えた」とされてきた。地元の郷土史家が2007年、誤りを発見した。 (静新平成24年7月27日朝刊)

2012年7月14日土曜日

高尾山古墳でシンポ

高尾山古墳でシンポ 沼津22日 きょうからパネル展も  東日本最古級の前方後方墳といわれている沼津市東熊堂の高尾山古墳の歴史的価値を考えるシンポジウムが22日午後1時から、同市御幸町の市民又化センターで開かれる。入場無料。申し込み不要。  市の学芸員と同古墳発掘調査報告書を執筆した専門家らが出土品などを元に、古墳の成立年代や当時の勢力図などを解説する。調査の成果を写真やイラストで紹介する「高尾山古墳ガイドブック~スルガの王、大いに塚を造る~」を1部100円で販売する。  同古墳は西暦230年頃に成立したとの説があり、卑弥呼の墓よりも古いとみる専門家もいる。ただ、国道1号と同246号を結ぶ市道建設予定地にあるため、保存するか撤去して道路を建設するかで揺れている。市教委は「古墳の価値をしっかり認識した上で、市民同士の議論を深めてほしい」としている。  14~23日は、同センターで「高尾山古墳パネル展」も開催する。問い合わせは市文化振興課文化財調査係〈電055(952)0844〉へ。 (静新平成24年7月14日朝刊)