2019年8月15日木曜日

小田原式沼津のひらき製法の事


小田原式ひらき製法

・・・・すでに大正七~八年頃になると、下河原の地元漁師たちがひらきの製造をしていたともいわれている。
 当時の製法は、魚の腸を手で出し、水樽に塩を入れ掻き混ぜ、ひらいた魚を水樽の中に入れておいたために、夏場などは早く傷むことが多かった。
 大正十年、問屋制度に終止符がうたれ、沼津魚仲間も大きな変化をきたすのであった。
 丁度その頃、小田原から沼津の下河原入町に移り住んだ飯沼佐太郎氏が、大正十二、三年頃、小田原方式のひらき加工をはじめた。従来の製造方法との大きな違いは、①包丁で腸を出すようになった。②塩汁を使用した。③生ぼし天日乾燥であった。この方式(地元漁師の女将さんにこの方法を指導し公開した)が次第に普及し、下河原の農家の人々の副業となり、ひらき加工の商売の道が順次開かれていった。
 下河原の半農半漁民は、さ)小田原屋が製品化して売り出す話を聞いて、ひらきならば家内工業として成り立つことを知り、夏は養蚕業、春と秋はひらき加工業として歩み出した。
(沼津魚仲買商協同組合三十年史)


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