2019年5月19日日曜日

沼津御用邸の変遷をたどる(沼朝記事)


沼津御用邸の変遷をたどる
 沼津御用邸は、当時の皇太子(大正天皇)の御静養のために1892年に本邸の建設工事が始まり、1893年に御座所、御学問所など日本建築の木造平屋建て1200平方㍍の本邸が竣工。
 1896年に本邸新御座所、玉突所、侍医の詰め所、女官室などが増築され、皇太子の成婚を前にした1899年に用地を増地。1900年に洋館、玄関車寄が造られ、本邸建物と苑地が完成。1903年に学問所として赤坂離宮東宮大夫官舎を移築した東附属邸が造営された。
 1905年に海軍大将(死後昇進)の川村純義伯爵の別邸を宮内庁が買い上げ、西附属邸を設置。06年に皇居内賢所の附属仮建物を移築した後、08年に御車寄、御料浴室、廊下などを増築。敷地を拡大して22年には御玉突所を増築して完成した。

 終戦を目前にした457月、沼津大空襲で本邸が焼失。戦後も皇室による利用は続いたが、それまでのような長期間の利用は減り、昭和天皇と香淳皇后が滞在する際には主に西附属邸が利用され、本邸が再建されることはなかった。
 69年に沼津御用邸が廃止され、宮内庁から当時の大蔵省に移管されて沼津市に無償貸与。翌70年に文化教養、休養のための都市公園として沼津御用邸記念公園が開園し、一般公開が始まった。74年には市歴史民俗資料館が本邸跡地の中心に開設された。
 91年には沼津・牛臥海岸CCZ(コースタル・コミュニティーゾーン)整備計画が国に認可され、公園再整備事業として御用邸建造物の改修を進め、93年から西附属邸を御用邸時代の建物そのままの形で改修、96年に始まった東附属邸の大規模改修では建物の外観に変更はないが、茶会などで活用するため}内部の間取りを一部変更し、99年までに整備を終えた。
 2006年、都市公園法施行50周年記念事
業で「日本の歴史公園100選」に選ばれ、16年には近代日本における近郊海浜保養地の優れた風致景観を伝える事例として、「旧沼津御用邸苑地」の名称で国の名勝に指定されている。
【沼朝令和元年519日(日)号】


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