2023年5月8日月曜日

原駅を過て今沢といふに椿林(つばきばやし)あり 「椿明神の社」東海道の実写絵図に文学作品を加えながら解説した新しい歴史資料

 



 椿林(つばきばやし)

 原駅を過て今沢といふに椿林(つばきばやし)あり。又小諏訪(こずわ)と西間門(にしまかど)村の間に椿の明神と云社有。椿を神木とする事吉野の桜の如しとかや。街道の左右に数株の椿枝をまじへたるさま、花紅葉は世に類いも多けれど、それには異りて殊珍らしき詠となれり。

且此所は草鞋(わらんず)、馬沓(くつ)を作り家々の垣あるいは門口にかけ、或は草鞋(わらんず)を一足つゝ板にすへて眼篭(めかご)の伏たる上に載、門口に出せり。是は和らかにしてこたへよきを名物とする由。亦原の駅の出はなれより、沼津辺までの村里は、家々の棟(むれ)に紫はつ(いちはつ)或は鳶尾(えんび)草の類ひを植て屋ねのおさへとす。惣て此辺の垣根は皆竹にてあみたるにいろゝの形を作れり菱或は石たゝみなと、あじろのことくなるもあり。其細工実に奇術と云へし。此辺にうなぎ嶋が原と云所あり。東海道名所記に云。うなぎ嶋が原猟師(れうし)おおき所なり。うなきの焼売り、芋(いも)餅あり。中略。都方にては、いとけなき子どもの数多集りて帯にとりつきて長く并びたるせなかの上を、一人のぼりて、匍偪(はい)ありくをうなぎの瀬のぼりとづけて、たわふれとす。楽(らく)阿弥思出て、

『 原宿の次は今沢、大諏訪、小諏訪、西間門村と続く。その村々では椿林が屋敷森のようになっていた。それは元禄三年(一六九〇)刊行の『延絵図』にも見えているので、少なくとも近世初期以前からのものと考えられる。

 図は小諏訪と西間門の村境付近の街道と考えられ、先方が沼津である。街道の左手先方に「椿明神の社」とある辺りに、詞書に記されている社がある。街道の両側の家々は周囲を椿林に囲まれて華やかである。また、家々が竹垣で囲まれているが、その編み方はそれぞれ独特で美しかった。詞書で、それは奇術であると記している。また、右手前の家の前には目籠(めかご)の上に板を置き、その上に草鞋(わらんじ)を並べて売っている。それは「和らかにしてこたへよきを名物とする」と記している。

左側では、荷物一駄をつけた本馬を曵く馬方が、見事な椿を指して愛(め)でている。中央の駕籠かきはひとり空籠をかついで家路についている。『駿河記』によると、今沢村の三島明神社を俗に椿明神と称す。此辺椿数多くあるを以て号しけるなり、とある。しかし『延絵図』には見られない。何れが正しいのか今の所わからないが、図の雰囲気から考え、西間門の図と判断した。』(東街便覧図略)


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